伊勢神宮の鬼門の寺 1
金剛證寺 山門篇 2021-2-12参拝 2021-2-18
伊勢神宮の鬼門を守る寺と言われる金剛證寺。
何度も行ったことのあるお寺で、私の好きなお寺の一つです。
私の記念すべき初めての御朱印はこのお寺です。
はじめての御朱印帳もここで買いました。
今回は経塚遺跡、奥の院の御朱印、塔婆について聞きに行きます。
2013年2月の記事 金剛證寺 >>
金剛證寺 こんごうしょうじ。
朝熊岳 勝峯山 兜率院(あさまだけ しょうほうざん とそついん)
創建は6世紀半ばに欽明天皇(聖徳太子の祖父)が僧・暁台に命じて
明星堂を建てたのが初めといわれていますが定かではありません。
平安時代には空海が真言密教道場として中興したと伝えられています。
「伊勢神宮の鬼門を守る寺」として伊勢信仰と結びつき、
大変、繁栄しました。
伊勢神宮の鬼門を守る寺と言われる金剛證寺。
何度も行ったことのあるお寺で、私の好きなお寺の一つです。
私の記念すべき初めての御朱印はこのお寺です。
はじめての御朱印帳もここで買いました。
今回は経塚遺跡、奥の院の御朱印、塔婆について聞きに行きます。

金剛證寺 こんごうしょうじ。
朝熊岳 勝峯山 兜率院(あさまだけ しょうほうざん とそついん)
創建は6世紀半ばに欽明天皇(聖徳太子の祖父)が僧・暁台に命じて
明星堂を建てたのが初めといわれていますが定かではありません。
平安時代には空海が真言密教道場として中興したと伝えられています。
「伊勢神宮の鬼門を守る寺」として伊勢信仰と結びつき、
大変、繁栄しました。
金剛證寺は朝熊山山頂近くにあり、近くには展望台もあります。
景色も良くとっても良いドライブコースなんですが、
最大のネックは有料道路を通らないといけない所。
伊勢志摩スカイライン 1270円。
地元民がお寺参りに行くには高い値段ですよね~
伊勢志摩スカイラインのHPから250円割引の券がゲットできます。
私はいつも伊勢側から朝熊山に入ります。

途中の展望台。
でっかいカメラを持った人がいました。

伊勢平野と伊勢湾を見渡せますが、今日は霞んでいます。

金剛證寺の駐車場は山門の下と奥の院の前の二か所あります。
今日は山門の下に停めました。

駐車場の近くに宝物館がありますが、今日も閉まっています。
電話で予約したらいいのかもしれません。
多分この中に経塚から出土した国宝の経筒や銅鏡があると思います。

宝物館の横にある「おちんこ地蔵」

わかりますか?下半身丸出しでおちんちんが付いてます。
小さいお地蔵さんは涎掛けが大きくて見えませんが、
もっと立派なおちんちんが付てます^^;
子宝にご利益のあるお地蔵さんです。

おちんこ地蔵のあるこの道が元の参道です。
駐車場が上に作られてしまった為に参拝者が通らなくなってしまいました。
この先には教源院、望海院という二つのお堂があります。
下へ行った時、カメラを持っていかなっかた事を悔やみますが、
ちゃんと仏像が安置されたお堂です。ほんのり廃れてますけど。
かつては塔中だったんじゃないかと思います。
門だけが残る庫裡跡かな?と思う痕跡がありました。

阿弥陀仏。

数奇な運命を辿る仏様もいらっしゃいますね。
伊勢の地に戻って来られて良かったです。

朝熊稲荷大明神。

山門。
金剛證寺は盛衰を繰り返してますが、
それは近年まで続き、個人的な感想ですが、
現在、盛り返してきた所かなと思います。

大正時代にはケーブルカーが作られ、設計がおかしかったらしく、
乗っているとだんだん下を向いていくとう代物だったらしいです。
それが面白いと噂になったと 今は亡き父が語っておりました。
そのケーブルカーも戦争で金属供出で無くなりました。
その後は朝熊山への入山が禁止され、衰退の一途でした。
1964年の伊勢志摩スカイラインが開通し、1979年(昭和54年)に仁王門が再建。
一旦、参拝客も増えますが、その後は伊勢志摩の観光自体が低迷したので、
きっと参拝客も減ったと思います。
近年は伊勢神宮の参拝客の増加と神仏参拝ブーム?で
金剛證寺も参拝客は増えたのでは?

山門をくぐっても、まだ本堂は見えません。
左に鐘楼、その向こうは茶店、右に太鼓橋の掛かる連間の池があります。

前の記事にも書きましたが、私が子供のころは、
確かこの橋は渡ることができたと記憶しています。

橋の向こうにあるのは雨宝堂。
雨宝童子は大日如来の化身である天照大御神です。
寺宝として平安時代作の重要文化財の雨宝童子像があります。
日向国に現れた天照大御神の16歳のお影を弘法大師が感得して
彫られたと伝わります。
この像は多分、本尊の脇侍になっていると思います。

池と橋の説明書。
ここでも弘法大師が掘ったと伝わっています。

昔ながらのノスタルジックな弘法茶店。
お土産も売っています。
正面にお堂が見えます。
茶店の横にもお堂があります。

茶店の横のお堂。多分、大師堂。

弘法大師が祀られていますが、現在は臨済宗です。
1392年(南北朝時代)に荒廃していた金剛證寺を再興したのが仏地禅師東岳文昱と
いうお坊さんで、この時に臨済宗に改宗し禅宗寺院となりました。

参道の正面にあったお堂です。

金文字の額が上がってるんですけど、読めない;;
お堂は地蔵堂で良いと思うんですけど。

ご本尊は矢負地蔵。しれっと重要文化財です。
桂昌院が寄進した鎌倉時代のお地蔵さんで、身代わりになってくれるそうです。

御簾の向こうには御本尊はおられるのか?
「矢負」と名が付くのできっと謂れがあると思うのですが、そこは分からずじまい。
身代わりなので、誰かの命を矢から守ってくれたんでしょう。

こちらは厄除六地蔵尊。

重軽石ですね~やってみましたが、私はあまり変わらなかったです。
何か良いことがありますように~なんて、願いが抽象過ぎたのかも。

お地蔵さんの横にあった福徳蓮華庚申。
不思議な形の像です。けっこう大きかったです。何を表しているんでしょう?
辛うじて分かるのは一番下の三猿です。
何か説明書きがあるんですが、読めない~
そして写真を撮ったからと、読んでこなかった~

何も説明は無かったんですが、なかなか立派な塔です。

仏足石。

説明。

木々の向こうにあるのは開山堂です。
後で行きます。
やたらと長くなってしまったので、記事を分けます。
<< 伊勢祖霊社 金剛證寺2 摩尼殿篇 >>
景色も良くとっても良いドライブコースなんですが、
最大のネックは有料道路を通らないといけない所。
伊勢志摩スカイライン 1270円。
地元民がお寺参りに行くには高い値段ですよね~
伊勢志摩スカイラインのHPから250円割引の券がゲットできます。
私はいつも伊勢側から朝熊山に入ります。

途中の展望台。
でっかいカメラを持った人がいました。

伊勢平野と伊勢湾を見渡せますが、今日は霞んでいます。

金剛證寺の駐車場は山門の下と奥の院の前の二か所あります。
今日は山門の下に停めました。

駐車場の近くに宝物館がありますが、今日も閉まっています。
電話で予約したらいいのかもしれません。
多分この中に経塚から出土した国宝の経筒や銅鏡があると思います。

宝物館の横にある「おちんこ地蔵」

わかりますか?下半身丸出しでおちんちんが付いてます。
小さいお地蔵さんは涎掛けが大きくて見えませんが、
もっと立派なおちんちんが付てます^^;
子宝にご利益のあるお地蔵さんです。

おちんこ地蔵のあるこの道が元の参道です。
駐車場が上に作られてしまった為に参拝者が通らなくなってしまいました。
この先には教源院、望海院という二つのお堂があります。
下へ行った時、カメラを持っていかなっかた事を悔やみますが、
ちゃんと仏像が安置されたお堂です。ほんのり廃れてますけど。
かつては塔中だったんじゃないかと思います。
門だけが残る庫裡跡かな?と思う痕跡がありました。

阿弥陀仏。

数奇な運命を辿る仏様もいらっしゃいますね。
伊勢の地に戻って来られて良かったです。

朝熊稲荷大明神。

山門。
金剛證寺は盛衰を繰り返してますが、
それは近年まで続き、個人的な感想ですが、
現在、盛り返してきた所かなと思います。

大正時代にはケーブルカーが作られ、設計がおかしかったらしく、
乗っているとだんだん下を向いていくとう代物だったらしいです。
それが面白いと噂になったと 今は亡き父が語っておりました。
そのケーブルカーも戦争で金属供出で無くなりました。
その後は朝熊山への入山が禁止され、衰退の一途でした。
1964年の伊勢志摩スカイラインが開通し、1979年(昭和54年)に仁王門が再建。
一旦、参拝客も増えますが、その後は伊勢志摩の観光自体が低迷したので、
きっと参拝客も減ったと思います。
近年は伊勢神宮の参拝客の増加と神仏参拝ブーム?で
金剛證寺も参拝客は増えたのでは?

山門をくぐっても、まだ本堂は見えません。
左に鐘楼、その向こうは茶店、右に太鼓橋の掛かる連間の池があります。

前の記事にも書きましたが、私が子供のころは、
確かこの橋は渡ることができたと記憶しています。

橋の向こうにあるのは雨宝堂。
雨宝童子は大日如来の化身である天照大御神です。
寺宝として平安時代作の重要文化財の雨宝童子像があります。
日向国に現れた天照大御神の16歳のお影を弘法大師が感得して
彫られたと伝わります。
この像は多分、本尊の脇侍になっていると思います。

池と橋の説明書。
ここでも弘法大師が掘ったと伝わっています。

昔ながらのノスタルジックな弘法茶店。
お土産も売っています。
正面にお堂が見えます。
茶店の横にもお堂があります。

茶店の横のお堂。多分、大師堂。

弘法大師が祀られていますが、現在は臨済宗です。
1392年(南北朝時代)に荒廃していた金剛證寺を再興したのが仏地禅師東岳文昱と
いうお坊さんで、この時に臨済宗に改宗し禅宗寺院となりました。

参道の正面にあったお堂です。

金文字の額が上がってるんですけど、読めない;;
お堂は地蔵堂で良いと思うんですけど。

ご本尊は矢負地蔵。しれっと重要文化財です。
桂昌院が寄進した鎌倉時代のお地蔵さんで、身代わりになってくれるそうです。

御簾の向こうには御本尊はおられるのか?
「矢負」と名が付くのできっと謂れがあると思うのですが、そこは分からずじまい。
身代わりなので、誰かの命を矢から守ってくれたんでしょう。

こちらは厄除六地蔵尊。

重軽石ですね~やってみましたが、私はあまり変わらなかったです。
何か良いことがありますように~なんて、願いが抽象過ぎたのかも。

お地蔵さんの横にあった福徳蓮華庚申。
不思議な形の像です。けっこう大きかったです。何を表しているんでしょう?
辛うじて分かるのは一番下の三猿です。
何か説明書きがあるんですが、読めない~
そして写真を撮ったからと、読んでこなかった~

何も説明は無かったんですが、なかなか立派な塔です。

仏足石。

説明。

木々の向こうにあるのは開山堂です。
後で行きます。
やたらと長くなってしまったので、記事を分けます。
<< 伊勢祖霊社 金剛證寺2 摩尼殿篇 >>
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