伊賀忍者回廊 巻之3-肆
春日大社の御神供料所の西山春日神社 2018-5-5参拝 2018-5-18
伊賀忍者回廊 三回目の朱印巡り、その四。
本日のコース
鵜宮神社(札所)→正月堂(札所)→西山春日神社→果号寺→
徳楽寺→射手神社→常住寺→百田山不動寺→西蓮寺(札所)→
岡八幡宮(札所)→慈尊寺→花垣神社(札所)・池邊寺→
田守神社(式内)・吉田寺→無量寿福寺(札所)→神戸神社(式内・元伊勢)
西山郷にあるので西山春日神社。
忍者回廊には載っていないのですが、古い歴史のある神社です。
平安時代から春日大社の四節供祭の御神供料所であります。
そして宣化天皇の御代(535 - 539)からあると言う木生神社(きなじんじゃ)が
合祀されております。
伊賀忍者回廊 三回目の朱印巡り、その四。
本日のコース
鵜宮神社(札所)→正月堂(札所)→西山春日神社→果号寺→
徳楽寺→射手神社→常住寺→百田山不動寺→西蓮寺(札所)→
岡八幡宮(札所)→慈尊寺→花垣神社(札所)・池邊寺→
田守神社(式内)・吉田寺→無量寿福寺(札所)→神戸神社(式内・元伊勢)
西山郷にあるので西山春日神社。
忍者回廊には載っていないのですが、古い歴史のある神社です。
平安時代から春日大社の四節供祭の御神供料所であります。
そして宣化天皇の御代(535 - 539)からあると言う木生神社(きなじんじゃ)が
合祀されております。
島ヶ原から和銅の道を通って西山郷へ来ました。
西山郷は丘陵地でとても見晴らしがいいです。

神社への参道の入口がある通りなんですけど、いい景色です。
この写真を撮った後ろに一軒の家がありました。
毎日、この景色を見て生活したら人生観変わりそうですよね~
まあ、世の中そんなに甘くないかもしれないけど、
小っちゃい事は気にするな!って気持ちになれる気がする。

参道入り口。
参道はけっこう長いです。100mくらい。
右隣にある細い道を車で登っていくと駐車場がありました。

駐車場。。。。と、なすび祭?今日?
よーく見ると10月の開催でした。この看板は出しっぱなし?
それとも広報的なもの?
とにかく、今日は「なすび祭」ではなかったです。

二の鳥居(多分)から境内に入ります。

拝殿?社務所?横幅あるの大きな建物です。
行事がある時は扉を開けて通り抜けられるようになるのかな?

この社務所は地区の人の寄り合いにも使っている感じです。
ふと、忍者たちも集まって協議したのかなって思いました。
この西山郷には忍者の史跡としては忍者回廊に載ってなかったんですが、
伊賀の乱の時の指揮官の中には西山郷の数名の名前が書かれていました。
伊賀中に忍者はいたんでしょけど、忍者じゃない人との区別は何だろう?

静かで緑が眩しい境内。
本殿は一段上になってます。

社務所の本殿側。

大きな絵馬がありました。
もう色褪せてしまって、よく分かりませんが、祭礼の様子のみたいです。

由緒。
平安末期の久安三年(1147)正月七日西山庄より南都春日社の節供祭に御神供を備進、
久安五年(1149)二月申日西山郷字赤衛谷を宮処と定め春日第三殿の天児屋根命を勧請。
鎌倉初期の文暦元年(1234)社殿消失、文和二年(1353)四月社殿再興、
室町時代の弘治三年(1557)赤衛谷より現在地に移転鎮座される。

とてもキレイな緑のもみじです。秋には真っ赤に紅葉するんでしょうね。
さっきの由緒書きに春日大社の四節供祭の御神供料は戦争で中断したが、
平成四年に復活したって書いてありますね。

こちらが拝殿ですね。
正面の小さなお社はなんだろう?

本殿は江戸中期の延享二年(1754)造営だそうですが、
現在、修復中 >< 残念!

明治になって木生神社を合祀しました。
木生神社は式内葦神社の論社であります。
葦神社は阿波地区にもあり、前回の忍者回廊巻之2で行ってきました。
葦神社の記事はこちら >>

木生神社について。
宣化天皇の御代(535~539)に創建の古い神社。
明治まで木生山の頂上にあったようですね。
祭神は木之久々能智命・名山主真剣荒魂、神の使は狼。
結局、由緒は不詳なんですけどね、「三国地誌 西山考証」に
木生神社に関する逸話が載っているみたいです。

ご神木。樹齢300年。
三国地誌西山考証の逸話を簡単に。
真剣と言う人が神木を盗んで首をはねられたと。
すると悪いことが次々起きたので真剣が祟っているって事になったんですね。
で、地名が「魔谷」。凄いネーミングだ。
魑魅魍魎に困った村人は山の頂に真剣の霊を祀り、木生と号した。
社は斎したが祭礼が行われなかったので、村にはよくないことが起った。
で、弘治2年(1556)より始めた祭り(ナスビ祭)を今尚執り続けている。

ずいぶん経ってから祭りを始めたんですねぇ。
きっと、千年の間にも何らかの祭礼はあったと推測しますが。。。
なすび祭りが一番効果があったのかな?
そして何で茄子なんだろう?この辺の事情を知りたいよね~

拝殿横の蔵は校倉造り。
春日大社へ納める米とか入れたのかな?
それにしても新しいですよね。

注連縄に木の枝が逆さに結わえてあるのはなんだろう?

社務所。

参道に立ち並ぶ石灯篭には灯りがともるようで、全てに電気のコードが付いてます。
きれいに掃除もされていて、気持ちの良い神社です。
きっと近所の年寄りが毎日、参拝に来るんでしょう。

春日神社 伊賀市西山2265
余談ではありますが、魔館谷や首堕瀧が気になりまして。
地図を見ていて見つけたのが、隣の高倉郷の「補陀落の瀧」。
ここが別名を「首落の瀧」と言うそうです。
なんか、関係ありそうだと思いません?
機会あったら行ってみようと思います^^b
次は西山郷の果号寺へいきます。
<< 忍者回廊3-三 正月堂 忍者回廊3-五 果号寺 >>
西山郷は丘陵地でとても見晴らしがいいです。

神社への参道の入口がある通りなんですけど、いい景色です。
この写真を撮った後ろに一軒の家がありました。
毎日、この景色を見て生活したら人生観変わりそうですよね~
まあ、世の中そんなに甘くないかもしれないけど、
小っちゃい事は気にするな!って気持ちになれる気がする。

参道入り口。
参道はけっこう長いです。100mくらい。
右隣にある細い道を車で登っていくと駐車場がありました。

駐車場。。。。と、なすび祭?今日?
よーく見ると10月の開催でした。この看板は出しっぱなし?
それとも広報的なもの?
とにかく、今日は「なすび祭」ではなかったです。

二の鳥居(多分)から境内に入ります。

拝殿?社務所?横幅あるの大きな建物です。
行事がある時は扉を開けて通り抜けられるようになるのかな?

この社務所は地区の人の寄り合いにも使っている感じです。
ふと、忍者たちも集まって協議したのかなって思いました。
この西山郷には忍者の史跡としては忍者回廊に載ってなかったんですが、
伊賀の乱の時の指揮官の中には西山郷の数名の名前が書かれていました。
伊賀中に忍者はいたんでしょけど、忍者じゃない人との区別は何だろう?

静かで緑が眩しい境内。
本殿は一段上になってます。

社務所の本殿側。

大きな絵馬がありました。
もう色褪せてしまって、よく分かりませんが、祭礼の様子のみたいです。

由緒。
平安末期の久安三年(1147)正月七日西山庄より南都春日社の節供祭に御神供を備進、
久安五年(1149)二月申日西山郷字赤衛谷を宮処と定め春日第三殿の天児屋根命を勧請。
鎌倉初期の文暦元年(1234)社殿消失、文和二年(1353)四月社殿再興、
室町時代の弘治三年(1557)赤衛谷より現在地に移転鎮座される。

とてもキレイな緑のもみじです。秋には真っ赤に紅葉するんでしょうね。
さっきの由緒書きに春日大社の四節供祭の御神供料は戦争で中断したが、
平成四年に復活したって書いてありますね。

こちらが拝殿ですね。
正面の小さなお社はなんだろう?

本殿は江戸中期の延享二年(1754)造営だそうですが、
現在、修復中 >< 残念!

明治になって木生神社を合祀しました。
木生神社は式内葦神社の論社であります。
葦神社は阿波地区にもあり、前回の忍者回廊巻之2で行ってきました。
葦神社の記事はこちら >>

木生神社について。
宣化天皇の御代(535~539)に創建の古い神社。
明治まで木生山の頂上にあったようですね。
祭神は木之久々能智命・名山主真剣荒魂、神の使は狼。
結局、由緒は不詳なんですけどね、「三国地誌 西山考証」に
木生神社に関する逸話が載っているみたいです。

ご神木。樹齢300年。
三国地誌西山考証の逸話を簡単に。
真剣と言う人が神木を盗んで首をはねられたと。
すると悪いことが次々起きたので真剣が祟っているって事になったんですね。
で、地名が「魔谷」。凄いネーミングだ。
魑魅魍魎に困った村人は山の頂に真剣の霊を祀り、木生と号した。
社は斎したが祭礼が行われなかったので、村にはよくないことが起った。
で、弘治2年(1556)より始めた祭り(ナスビ祭)を今尚執り続けている。

ずいぶん経ってから祭りを始めたんですねぇ。
きっと、千年の間にも何らかの祭礼はあったと推測しますが。。。
なすび祭りが一番効果があったのかな?
そして何で茄子なんだろう?この辺の事情を知りたいよね~

拝殿横の蔵は校倉造り。
春日大社へ納める米とか入れたのかな?
それにしても新しいですよね。

注連縄に木の枝が逆さに結わえてあるのはなんだろう?

社務所。

参道に立ち並ぶ石灯篭には灯りがともるようで、全てに電気のコードが付いてます。
きれいに掃除もされていて、気持ちの良い神社です。
きっと近所の年寄りが毎日、参拝に来るんでしょう。


余談ではありますが、魔館谷や首堕瀧が気になりまして。
地図を見ていて見つけたのが、隣の高倉郷の「補陀落の瀧」。
ここが別名を「首落の瀧」と言うそうです。
なんか、関係ありそうだと思いません?
機会あったら行ってみようと思います^^b
次は西山郷の果号寺へいきます。
<< 忍者回廊3-三 正月堂 忍者回廊3-五 果号寺 >>
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