FC2ブログ

伊賀忍者回廊 巻之2-肆

喰代の百地砦跡 永保寺・青雲寺 2018-3-24参拝  2018-4-19

伊賀忍者回廊の二回目の朱印巡り、その四です。

本日のコース
葦神社(式内)→阿波本願寺→神幢寺→阿波神社(式内)→
永保寺(札所)→青雲寺(札所)→百地砦→比自岐神社(式内)→
滝仙寺(札所)→宝厳寺(札所)→高瀬神社(式内)・蓮花寺→赤岩尾神社

三忍の百地丹波の拠点であった喰代(ほおじろ)地区。
百地砦跡と伊賀忍者回廊の札所である永保寺と青雲寺があります。

天正伊賀の乱の主役と言ってもいい悲劇のヒーロー?に想いを馳せてみます。


伊賀街道(国道163号)から「伊賀コリドールロード」で3kmばかり南下します。
この「伊賀コリドールロード」が環状線的な広域農道です。
この道が「回廊」な訳ですね。

のんびりとした山里を通って喰代に到着。

まずは道沿いにある永保寺へ。

伊賀回廊2 (48)

車で境内に入った所です。
お寺は幟があったのですぐに分かったのですが、道は狭くて坂が急です。
車で入っていいのか、ちょっと悩みました。

伊賀回廊2 (49)

本堂はお堂らしくない感じです。

伊賀回廊2 (50)

境内の半分はゲートボール場です。(かつては小学校)
ゲートボール場の後ろが駐車場になっているようですので、
そちらに駐車しました。

伊賀回廊2 (51)

無住寺だそうですが、小さなお堂も鐘楼もあります。

伊賀回廊2 (52)

永保寺についての情報はほとんど無く、百地氏ゆかりの寺院で、
近くに百地砦跡があるってことしか分かりませんでした。
創建時期についても由緒も全く不明。

伊賀回廊2 (53)

無住寺ですが、本堂も新しく管理はしっかりされているようです。
ゲートボール場があるから、近隣の老人の集いの場かもね。

本堂の脇に朱印が用意されていましたので、自分で押印します。
ここは伊賀四国八十八カ所の札所にもなっています。

永保寺伊賀朱印

御朱印 セルフで200円。

伊賀回廊2 (57)

六角堂。

伊賀回廊2 (55)

六角堂の説明はあるけど、歴史については書いてないです;;

伊賀回廊2 (59)

なに堂?

伊賀回廊2 (54)

古い感じの石段と小さな祠が見えます。

伊賀回廊2 (62)

奥の方はこの有様でした。
境内も広いし、昔はたくさんのお堂のある大きなお寺だったのかな?

伊賀回廊2 (60)

宝塔や五輪塔や石仏さんはここにまとめられたようです。
後ろの石段には百地城跡の案内があります。

伊賀回廊2 (61)

ちょっと行ってみました。
道沿いには石仏や古いお墓もあります。

多分、ここから次の青雲寺も行けますが、車で移動します。

伊賀回廊2 (66)

100mくらいで青雲寺の参道入り口です。
が、とてつもなく道が狭かったので、川沿いの空き地?に車を置いていきます。

伊賀回廊2 (65)

狭い!
ぐるっと回るとこの道以外に車でも行ける道がありましたが、
青雲寺にも百地砦にも駐車場は無かったです。

伊賀回廊2 (67)

細い道沿いにあった百地家のお墓。

現在、名張市に百地家の末裔の方が住んでいおられます。
なので、てっきり名張市の方が百地氏の拠点なのかと思っていました。

最後に籠城したのが名張にある柏原城だったそうです。
伊賀も名張も百地氏が支配していたのかな。

伊賀回廊2 (70)

青雲寺も無住寺ですが、新しい本堂です。
最近、きれいに整備した感じですね~

伊賀市は忍者で市を盛り上げようとしてますから、伊賀忍者回廊もその一環ですよね。
人に来てもらおうと思うと整備は必要ですから。
予算が通ったわけですね^^;

青雲寺伊賀朱印

御朱印。セルフで200円。

ちゃんと整備されていて、来やすいのですが、
私としてはお寺や神社の由緒などの情報がほしいです。

伊賀回廊2 (68)

青雲寺についても分かっているのは百地砦に隣接し、百地氏の館跡だったことだけ。
もうちょっとエピソードが欲しい所です。

伊賀回廊2 (71)

戦火で燃えて何も残ってなくて、分からないのかもしれませんけど。
でもさ~村の古老の言い伝えとかないのかな?

伊賀回廊2 (69)

こっちから歩いてきました。
この奥にお墓があります。

伊賀回廊2 (72)

たくさんの墓碑。
いつの時代のものか分からないけど、きっとこの中に忍者もいるんじゃないかなぁ。

伊賀回廊2 (73)

お寺の脇にあった丸形池。堀の跡です。
百地砦への入口に休憩所も作られていました。

伊賀回廊2 (74)

百地砦への道。

伊賀三大上忍の一人「百地三太夫」ですが本名は「百地丹波」です。
他は服部半蔵と藤林長門守です。

一番有名なのは服部半蔵保長でしょうけど、服部氏は早くに伊賀を出て足利家に仕え、
その後、松平家(徳川家)に仕えました。
本能寺の変の時の徳川家康の伊賀越えを手引きしたらしいです。

徳川に重用された服部氏のおかげで現代まで忍者が残ったんでしょうね。

(補足:服部氏は足利氏に仕えた後、伊賀に戻った一族もいまして、伊賀の千賀地城で織田軍と戦ってました。)

伊賀回廊2 (78)

地図の左下の方に「式部塚」という史跡があります。
私は行き損ねたんですが、これは百地丹波の愛人の墓だそうです。

式部という名の愛人が奈良から丹波を訪ねてきたんですが、本妻に殺されました。
のこのこ家に会いに来る愛人もどうかと思うけど、殺す本妻もさすがだね。

いつの頃からか、この塚にハサミを供えると悪縁が切れると言われ、
ネット見た写真にはたくさんのハサミが塚の前にありました。

ちょっとうすら寒い感じがします。。。

伊賀回廊2 (75)

城跡。
といっても中世の砦だし、土豪なのでデカイ家くらいの物かと想像します。

下の説明にも書いてある通り、伊賀には中世の城館跡が250か所あり、
小さいものも入れると500以上あるそうです。

伊賀回廊2 (76)

ちょっと読みにくいですが、百地城跡についての説明。

さっきの書いたように三忍は百地、藤林、服部ですが、服部氏は伊賀を出たので
天正伊賀の乱を戦ったのは百地氏と藤林氏ですが、詳しいことはやっぱり謎なようです。

伊賀回廊2 (77)

織田信長と戦った伊賀忍者の中で百地丹波が中心人物だったことは
多分、間違っていないんだろうな~と思います。

伊賀を巡るたびに、伊賀忍者の歴史を知ることになります。
ずいぶん忍者のイメージが変わりました。

次は喰代を後にして延喜式内社の比自岐神社へ行きます。

<< 忍者回廊2-参 神幢寺と阿波神社  忍者回廊2-五 比自岐神社 >>

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ



スポンサーサイト

theme : 神社仏閣
genre : 学問・文化・芸術

tag : 伊賀 忍者 回廊 朱印 百地 丹波 三太夫 永保寺 青雲寺 百地砦

comment

Secret

FC2プロフ
プロフィール

じゅみーcoco

Author:じゅみーcoco
伊勢神宮の近所で生まれ育って
現在、伊勢の隣の町に在住。

忙しかった子育ても一段落。
行きたかった神社、お寺、
歴史の舞台、遺跡etc
あちこちお出かけするぞ~~
御朱印ももらっちゃうもんね^^

最新記事
Lc.ツリーカテゴリー
フリーエリア
最新コメント
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

最新トラックバック
 
カレンダー
11 | 2018/12 | 01
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
FC2カウンター
お勧めショップ

仏教美術の世界にようこそ



ご朱印帳と旅する

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

検索フォーム
神社・寺などの名前を入れてね。
月別アーカイブ
フリーエリア
フリーエリア
リンク
Amazon商品一覧【新着順】
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

FC2ブログジャンキー

「アクセス数が全然伸びない…」そんな悩みをブログジャンキーが解決します!

QRコード
QR
RSSリンクの表示