初瀬の里の浅春 2
大和国 長谷寺 登廊篇 2018-3-10参拝 2018-3-16
本日のコース
長谷寺 (登廊・本堂・諸堂・本長谷寺・本坊御開帳)→能満院→與喜天満神社→法起院→長谷山口坐神社→白髭神社
真言宗豊山(ぶざん)派総本山 長谷寺(はせでら)。
西国三十三所八番札所、他にも多数の巡礼札所になってます。
天武朝の朱鳥元年(686年)に創建。
ご本尊の十一面観音像は神亀四年(727年)に造られたそうです。
(現在は天文7年(1538年)の再興の観音さん)
長谷寺は古くから四季折々の花が咲く寺で、特に春の牡丹は有名です。
『枕草子』『源氏物語』『更級日記』など多くの古典文学にも登場します。
本日のコース
長谷寺 (登廊・本堂・諸堂・本長谷寺・本坊御開帳)→能満院→與喜天満神社→法起院→長谷山口坐神社→白髭神社
真言宗豊山(ぶざん)派総本山 長谷寺(はせでら)。
西国三十三所八番札所、他にも多数の巡礼札所になってます。
天武朝の朱鳥元年(686年)に創建。
ご本尊の十一面観音像は神亀四年(727年)に造られたそうです。
(現在は天文7年(1538年)の再興の観音さん)
長谷寺は古くから四季折々の花が咲く寺で、特に春の牡丹は有名です。
『枕草子』『源氏物語』『更級日記』など多くの古典文学にも登場します。
長谷寺は初瀬街道(国道165号)から参道へ入りますが、
参道は狭いので迂回して北側から入る道もあります。
今回は普通に参道を通って有料駐車場(1日500円)に車を停めましたが、
駐車場も少ないですし、時期によっては大変混雑します。
電車では近鉄長谷寺駅から900mくらいです。

長谷寺入り口。

総受付と書いてありますが、無人でした。
休憩所みたいになってましたが、奥には烏天狗さんが。

秋葉山三尺坊大権現。
かっこいい烏天狗です。もっと立派なお堂に納めてもいいんじゃない?
境内には天狗杉があって、天狗に纏わる昔話も残っています。

山門までにすでに階段が多いんですけど。

阿吽の仁王像を安置した仁王門です。
楼上には釈迦三尊十六羅漢像を安置されているそうです。
この仁王門が建立されたのは、一条天皇在位中の西暦986~1011年の間だそうですが、
現在の山門は明治27年(1894)の再建です。
御開帳の垂れ幕は、景観として良し悪しである。。。

入山料は門前の受付で払います。
特別拝観料もここで払います。
ご本尊の足に触れる特別拝観は1000円。
6年ぶりのご本尊等身大の掛け軸の拝観は500円。
私は前にご本尊の足に触ったので、今回は掛け軸の拝観だけにしました。

これは読めますね~

境内図の看板があります。
入山料を払ったときに、同じ境内図の乗ったパンフレットがもらえます。
私はネットから境内図を印刷して持って行ったのですが、
なんか、これと違うんですよね~
境内をだいぶ散策してから、その地図は鎌倉の長谷寺だと気づきました。
富士山や海の絵が描いてあるんだもん、おかしいなと思っていたんだけどさ。

私のような間違いがないとは限らないのでご注意を^^;
さっき見たらそれぞれのHPに「大和国」とか「鎌倉」とかでかでかと書いてありました。
なぜこれを見落としたか?

山門の彫刻。

山門に直結して始まる登廊(のぼりろう)。重要文化財。
初めて長谷寺に来た時、なんて素敵な階段なんだろうと思いました。
それ以来、何度も参拝に来てますが、来るたびに、私ココ好きだわ~と思うのです。

平安時代の長歴三年(1039)に春日大社の宮司、
中臣信清が息子の病気平癒の御礼に造ったものです。
上中下に分かれ、全部で399段。中、下登廊は明治の再建です。
この写真は下廊なので再建ですね。
仁王門と中、下登廊は明治に火災で燃えちゃったんだそうです。
上登廊まで火が回ると本堂も危ないですものね。
みんな必死で消火したんでしょうね。
登廊の横の植物は牡丹です。咲いてないと何だか分かりませんね^^;

登廊には長谷型という丸い灯篭が吊るされています。
創建頃の参道は違う道だったそうなんですが、現在の道になったのは、
菅原道真が「観音堂」へ駆け登り、人々がその道跡を通るようになったそうです。
今、参道以外の道を歩いたら絶対叱られるよね~
なんで菅原道真はそんなことをしたのか?
根拠のない伝説のような気がしないでもない。。。

登廊を中心に左右に堂塔が立ち並びます。

土塀が真っ白で眩しいです。

ここも塀は真っ白なんだけど、石段や石塀は苔が生えて歴史を感じます。

登廊は直角に曲がって曲がって本堂へ続きます。
が、その前に。。。

春の特別公開で、宝物館である宗宝蔵へ入れます。

長谷寺の国宝、重要文化財を無料で拝観できます。
ここに国宝の「銅板法華説相図」があります。
道明上人が長谷寺創建時に造って本尊として納めたとされています。
たくさんの収蔵品があって見応えありました。

長谷寺は梅は少なく、やっぱりこの時期は花がないです。
数少ない咲いている花を参拝者はバシバシ写真に撮っていました。
私も一緒になって撮ってきました。

こちらの梅は五分咲きってところです。

中登廊まで来ました。
右には手水舎、まっすぐ階段を上っていくと開山堂を経て本堂へ行けます。

思わず登ってきた登廊を振り返って見たくなります。
けっこう凄い階段と思うけど、段差が低いのでそんなに大変ではなかったです。

中登廊を登りきると蔵王堂があります。
なんと!吉野山から虹が架かり、その上を三体の蔵王権現が歩いて
長谷寺までやって来たそうですよ。

このお堂は家光公が造ったものでした。

蔵王堂の隣には「縁結びの社」と「紀貫之の梅」があります。
縁結びの社は旅する西行法師とその妻の尼僧とが、観音様のお導きにより
この場所で再会したとのこと。
紀貫之は幼少期を長谷寺で過ごし、長谷寺の僧侶で叔父である雲井坊浄真を
訪ねて再訪した際、二人で歌を詠みました。
歴史上の人物はみんな長谷寺に参拝に来てるってことですね。

最後の上登廊。慶安3年(1650年)。
ここを登りきると本堂です。

上登廊を登りきるちょっと手前の本堂の脇にあるのが三百余社。
慶安3年(1650年)に造られた重要文化財。
どこの神様を祀っているのか不明。

ついに本堂です。

登廊は最後に鐘楼をくぐって本堂になります。
ここまで来ると本堂に目が行ってしまって、鐘楼があるということも見落としてしまいがち。
ちょっと振り返って見てみましょう。
江戸時代前期の慶安3年(1650年)に建立された重要文化財。
本堂と鐘楼を繋ぐ繋廊も同時期の建立で重要文化財。
やっと本堂の前にたどり着きました。
次は本堂篇。本堂周辺の記事を書きます。
大和国 長谷寺 HP >>
奈良観光局 あるく奈良 >>
<< 初瀬の里を巡る旅 1 初瀬3 長谷寺 本堂篇 >>
参道は狭いので迂回して北側から入る道もあります。
今回は普通に参道を通って有料駐車場(1日500円)に車を停めましたが、
駐車場も少ないですし、時期によっては大変混雑します。
電車では近鉄長谷寺駅から900mくらいです。

長谷寺入り口。

総受付と書いてありますが、無人でした。
休憩所みたいになってましたが、奥には烏天狗さんが。

秋葉山三尺坊大権現。
かっこいい烏天狗です。もっと立派なお堂に納めてもいいんじゃない?
境内には天狗杉があって、天狗に纏わる昔話も残っています。

山門までにすでに階段が多いんですけど。

阿吽の仁王像を安置した仁王門です。
楼上には釈迦三尊十六羅漢像を安置されているそうです。
この仁王門が建立されたのは、一条天皇在位中の西暦986~1011年の間だそうですが、
現在の山門は明治27年(1894)の再建です。
御開帳の垂れ幕は、景観として良し悪しである。。。

入山料は門前の受付で払います。
特別拝観料もここで払います。
ご本尊の足に触れる特別拝観は1000円。
6年ぶりのご本尊等身大の掛け軸の拝観は500円。
私は前にご本尊の足に触ったので、今回は掛け軸の拝観だけにしました。

これは読めますね~

境内図の看板があります。
入山料を払ったときに、同じ境内図の乗ったパンフレットがもらえます。
私はネットから境内図を印刷して持って行ったのですが、
なんか、これと違うんですよね~
境内をだいぶ散策してから、その地図は鎌倉の長谷寺だと気づきました。
富士山や海の絵が描いてあるんだもん、おかしいなと思っていたんだけどさ。

私のような間違いがないとは限らないのでご注意を^^;
さっき見たらそれぞれのHPに「大和国」とか「鎌倉」とかでかでかと書いてありました。
なぜこれを見落としたか?

山門の彫刻。

山門に直結して始まる登廊(のぼりろう)。重要文化財。
初めて長谷寺に来た時、なんて素敵な階段なんだろうと思いました。
それ以来、何度も参拝に来てますが、来るたびに、私ココ好きだわ~と思うのです。

平安時代の長歴三年(1039)に春日大社の宮司、
中臣信清が息子の病気平癒の御礼に造ったものです。
上中下に分かれ、全部で399段。中、下登廊は明治の再建です。
この写真は下廊なので再建ですね。
仁王門と中、下登廊は明治に火災で燃えちゃったんだそうです。
上登廊まで火が回ると本堂も危ないですものね。
みんな必死で消火したんでしょうね。
登廊の横の植物は牡丹です。咲いてないと何だか分かりませんね^^;

登廊には長谷型という丸い灯篭が吊るされています。
創建頃の参道は違う道だったそうなんですが、現在の道になったのは、
菅原道真が「観音堂」へ駆け登り、人々がその道跡を通るようになったそうです。
今、参道以外の道を歩いたら絶対叱られるよね~
なんで菅原道真はそんなことをしたのか?
根拠のない伝説のような気がしないでもない。。。

登廊を中心に左右に堂塔が立ち並びます。

土塀が真っ白で眩しいです。

ここも塀は真っ白なんだけど、石段や石塀は苔が生えて歴史を感じます。

登廊は直角に曲がって曲がって本堂へ続きます。
が、その前に。。。

春の特別公開で、宝物館である宗宝蔵へ入れます。

長谷寺の国宝、重要文化財を無料で拝観できます。
ここに国宝の「銅板法華説相図」があります。
道明上人が長谷寺創建時に造って本尊として納めたとされています。
たくさんの収蔵品があって見応えありました。

長谷寺は梅は少なく、やっぱりこの時期は花がないです。
数少ない咲いている花を参拝者はバシバシ写真に撮っていました。
私も一緒になって撮ってきました。

こちらの梅は五分咲きってところです。

中登廊まで来ました。
右には手水舎、まっすぐ階段を上っていくと開山堂を経て本堂へ行けます。

思わず登ってきた登廊を振り返って見たくなります。
けっこう凄い階段と思うけど、段差が低いのでそんなに大変ではなかったです。

中登廊を登りきると蔵王堂があります。
なんと!吉野山から虹が架かり、その上を三体の蔵王権現が歩いて
長谷寺までやって来たそうですよ。

このお堂は家光公が造ったものでした。

蔵王堂の隣には「縁結びの社」と「紀貫之の梅」があります。
縁結びの社は旅する西行法師とその妻の尼僧とが、観音様のお導きにより
この場所で再会したとのこと。
紀貫之は幼少期を長谷寺で過ごし、長谷寺の僧侶で叔父である雲井坊浄真を
訪ねて再訪した際、二人で歌を詠みました。
歴史上の人物はみんな長谷寺に参拝に来てるってことですね。

最後の上登廊。慶安3年(1650年)。
ここを登りきると本堂です。

上登廊を登りきるちょっと手前の本堂の脇にあるのが三百余社。
慶安3年(1650年)に造られた重要文化財。
どこの神様を祀っているのか不明。

ついに本堂です。

登廊は最後に鐘楼をくぐって本堂になります。
ここまで来ると本堂に目が行ってしまって、鐘楼があるということも見落としてしまいがち。
ちょっと振り返って見てみましょう。
江戸時代前期の慶安3年(1650年)に建立された重要文化財。
本堂と鐘楼を繋ぐ繋廊も同時期の建立で重要文化財。
やっと本堂の前にたどり着きました。
次は本堂篇。本堂周辺の記事を書きます。


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