伊賀忍者回廊 西念寺
藤林左武次保武の墓所 西念寺 2018-2-11参拝 2018-2-28
伊賀忍者回廊 本日の巡礼
⑤萬福寺→④松本院→③西念寺→①愛宕神社(忍之社)
四番札所 西念寺
伊賀市上野万町2296
「藤林左武次保武」って誰? はい、忍者です^^
三大忍書のひとつである「萬川集海」の著者です。
「藤林左武次保武」も「萬川集海」も初耳です。
伊賀忍者回廊 本日の巡礼
⑤萬福寺→④松本院→③西念寺→①愛宕神社(忍之社)
四番札所 西念寺
伊賀市上野万町2296
「藤林左武次保武」って誰? はい、忍者です^^
三大忍書のひとつである「萬川集海」の著者です。
「藤林左武次保武」も「萬川集海」も初耳です。
今回はずっと道が狭い、道が狭いと言ってますが、
萬福寺より松本院より狭かったです。
ナビの案内では見るからに狭い道を案内され、
違う道から行ったんですが、やっぱり最終的に同じ道へ行きましたーー;
軽自動車なら良かったんですけどね、、、
右の白い塀が西念寺です。
写真で見るとそんなに狭く見えないんだけど、実際に行くと
ウソーって思うくらい狭いです。
でも城下町らしく道がまっすぐなので、対向車さえ何とかなれば
とりあえず前に進めます。
お寺の前に「伊賀忍者回廊」の旗がないので、分かりにくかったです。
そして「P→」と書いてありますが、駐車場は分かりませんでした。
上の写真の白い塀が切れた所を右折したら門が開いていて、
そこから車で境内に入りました。
境内はどなたも見えず、お参りして本堂前の御朱印の書置きを頂きました。
このお寺との関連は先に書いた通り、三大忍書のひとつである「萬川集海」の
著者・藤林左武次保武の墓所があることです。
ですがね~この時、雪混じりの雨が降り出して、お墓を確認せずに
慌てて帰ってきてしまいました。
なので写真もこれだけです。
御朱印。
西念寺の由緒などは調べてみたんですが、全く分からずです。
法然上人の霊場であることだけ、分かりました。
「藤林左武次保武」と「萬川集海」について。
藤林左武次保武は伊賀の三忍の藤林長門守の孫です。
(あとの二人は服部半蔵と百地丹波ね)
元禄14年(1701)に正式に伊賀者に召されました。
萬川集海(まんせんしゅうかい)は延宝4年(1676年)に書かれた忍術書。
甲賀・伊賀の各流派を超えて一子相伝とされた忍びの技術をまとめたもの。
忍者ってどんな人々だったんでしょうね。
私の忍者のイメージは「赤影」なんだよね~
若い人は知らないよね^^;
次は一番札所の愛宕神社(忍之社)です。
<< 伊賀忍者回廊 四番 松本院 伊賀忍者回廊 一番 忍之社(愛宕神社) >>
萬福寺より松本院より狭かったです。
ナビの案内では見るからに狭い道を案内され、
違う道から行ったんですが、やっぱり最終的に同じ道へ行きましたーー;
軽自動車なら良かったんですけどね、、、
右の白い塀が西念寺です。
写真で見るとそんなに狭く見えないんだけど、実際に行くと
ウソーって思うくらい狭いです。
でも城下町らしく道がまっすぐなので、対向車さえ何とかなれば
とりあえず前に進めます。
お寺の前に「伊賀忍者回廊」の旗がないので、分かりにくかったです。
そして「P→」と書いてありますが、駐車場は分かりませんでした。
上の写真の白い塀が切れた所を右折したら門が開いていて、
そこから車で境内に入りました。
境内はどなたも見えず、お参りして本堂前の御朱印の書置きを頂きました。
このお寺との関連は先に書いた通り、三大忍書のひとつである「萬川集海」の
著者・藤林左武次保武の墓所があることです。
ですがね~この時、雪混じりの雨が降り出して、お墓を確認せずに
慌てて帰ってきてしまいました。
なので写真もこれだけです。
御朱印。
西念寺の由緒などは調べてみたんですが、全く分からずです。
法然上人の霊場であることだけ、分かりました。
「藤林左武次保武」と「萬川集海」について。
藤林左武次保武は伊賀の三忍の藤林長門守の孫です。
(あとの二人は服部半蔵と百地丹波ね)
元禄14年(1701)に正式に伊賀者に召されました。
萬川集海(まんせんしゅうかい)は延宝4年(1676年)に書かれた忍術書。
甲賀・伊賀の各流派を超えて一子相伝とされた忍びの技術をまとめたもの。
忍者ってどんな人々だったんでしょうね。
私の忍者のイメージは「赤影」なんだよね~
若い人は知らないよね^^;
次は一番札所の愛宕神社(忍之社)です。
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