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東山七条7 総本山智積院 前篇

総本山智積院の境内を巡る  2017-1-7参拝  2017-2-17

本日のコース
豊国神社→方広寺→三嶋神社→香雪院・東山聖天→新日吉神宮→
総本山 智積院→蓮華王院 三十三間堂→養源院→法住寺→京都国立博物館

真言宗智山派総本山 智積院(ちしゃくいん)

智積院とずっと言っていたし、地図にも智積院として載っているので、
智積院というお寺の名前なんだとずっと思っていました。

ブログを書くにあたって調べたら、なんと、違うではありませんか@@;
山号を五百佛山(いおぶさん)、寺号を根来寺(ねごろじ)。
そうなんだぁ、根来寺っていうんだぁ。

根来寺って和歌山にもありますよね。
そうなんです、このお寺には複雑な歴史がありました。


新日吉神宮から智積院に行きます。
智積院と妙法院の間の坂を下るんですが、どうやら女坂と言うようです。

途中でランチを食べて女坂の途中の門から境内に入りました。

東山七条 094

何門でしょう?
方角的には北門でしょうか?

東山七条 095

多分、本坊。
さすが総本山、すごいいっぱい建物があります。

伊勢神宮のお膝元で神道で育った私は仏教の宗派がさっぱり分りません。
Tさんに教えてもらって、やっと少し覚えたところです。

真言宗は弘法大師空海が開祖で高野山は覚えました。
派閥は違うけど智積院も開祖は弘法大師ですよね。

東山七条 159

境内図の写真も撮ったんだけど、字が小さくてよく見えない;;

仏教も大きくなって力を持ってくると、敵もでき、派閥もでき、仲間割れするんですね。
大きくなった高野山で対立が起こり、大伝法院が和歌山の根来寺へ移ります。

東山七条 096

境内の中の門だから中門かな?

大伝法院 根来寺は大いに繁栄し一大宗教都市となり、
根来衆という僧兵1万余の一大軍事集団を持ちました。

東山七条 097

これが総門。
総門の前の道は、三十三間堂と国立博物館の間を通って、まっすぐ七条大橋へ続きます。

力を持った根来寺は豊臣秀吉と対立し焼き討ちにより炎上します。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの翌年、徳川家康は東山の豊国神社の付属寺院の
土地建物を根来寺の僧で焼き討ちされた塔頭智積院の住職であった玄宥に与えます。
そして智積院は東山の地に再興したのでありました。

東山七条 162

外から見た総門。
総門からは入れません。

慶長20年(1615年)の大坂の陣で豊臣家が滅びた後、家康によって秀吉が愛児・鶴松を弔うために
建立した祥雲寺が根来寺に寄進されるが、そのまま智積院が譲り受けました。

祥雲寺に名勝庭園や長谷川一門の障壁画があり、
そのまま智積院の所有となりました。

東山七条 098

大書院や講堂に続く(多分)大玄関。
玄関からは入れません。

総門と言い、玄関と言い、本当の入口からは入れないんだね^^;

この後、講堂、大書院、名勝庭園と収蔵庫を拝観しますが、それは後篇で。

東山七条 125

金堂(本堂)。
ご本尊の大日如来像が安置されています。

東山七条 126

対象物が無いので大きさが分りませんが、
さすが総本山の本堂!とっても大きなお堂です。

堂内に入ってお参りできます。

東山七条 127

本堂は宝永2年(1705)春に建立されましたが、明治15年(1882)に火災により焼失しました。
現在のお堂は宗祖弘法大師のご生誕千二百年の記念事業として昭和50年に建設されました。

東山七条 151

明王殿。

なんでも昭和22年に仮本堂も焼失したため、京都四条寺町にある大雲院の本堂を譲り受けたものです。

東山七条 154

木が変色して読みにくいですーー;

ご本尊は不動明王。
この尊像は興教大師覚鑁ゆかりの紀州根来寺より伝来したと言われているそうです。

東山七条 158

鐘楼。

智積院の境内はまるで公園のように整備されて木々が並木道のようになっています。
パッと境内の中を見ると金堂や明王殿の他に近代的な会館などが目に入ります。

でもね。。。

東山七条 128

散策路の中の細い道を行くと、木々に隠れた階段の向こうにお堂が見えます。
せっかくなので、こちらもお参りに行きます。

東山七条 129

こちらは大師堂でした。
弘法大師を祀るお堂です。

東山七条 130

落慶したのは寛政元年(1789)です。

東山七条 132

金堂や講堂のあたりには参拝者がチラホラいましたが、ここは私一人です。
(Tさんは、「私はいい」と言って来なかったの~)

ああ、なんて静かなんでしょう。こういう静けさは大好きです。

と思っていたら、外国人のお兄さん(白人系)が一人でやってきました。
この人もすべてを見てみたいんだなと思うと何やら親近感も湧きます^^

日本人のおばさんと、外国人のお兄さんがウロウロしている様子はちょっと面白いかも?

東山七条 133

奥には、まだお堂がいくつかあります。
ここにも鐘楼があります。

東山七条 134

この鐘楼は豊国神社破却の際に移築されました。
1667年建立、梵鐘は1616年鋳造。

東山七条 136

運敞蔵。
「うんしょうぐら」と読みます。1672年(延宝元年)建立。

東山七条 135

運敞僧正は智山教学を興隆した方だそうで、その徳を慕い、全国から
集まってきた学徒は最盛期には1300人を数えたそうですよ。

この中には大量の書物が入っているんですねぇ。

東山七条 137

小さな祠が並んでいます。
多分、こちらは神様なんじゃないかな?

東山七条 138

密厳堂。
真言宗中興の祖、興教大師覚鑁の像を安置します。

東山七条 141

寛文7年(1667)に建立。

東山七条 139

智積院のHPに「正面に寛文12年(1672)運敞僧正自筆の「密厳堂」の額が
掲げられています。」って書いてあったんだけど、この額かな?

こんな雨風にさらされる所に掲げてあるのかな?

東山七条 142

求聞持堂。1844年(嘉永4年)建立。

東山七条 143

ボロボロだけど、読める^^

東山七条 144

鳥居がありますが、このお社は拝殿です。
多分、三部権現社の拝殿。

東山七条 145

三部権現社。
これは覆屋で中に三つのお社があります。

東山七条 147

こんな感じで小さなお社です。
1667年勧請で府指定文化財です。

東山七条 146

三部権現社は智積院の鎮守社。

中央に仏部聖無動尊本部の十天、右に蓮華部天照大神、八幡、加茂、
左に金剛部丹生高野両大明神が祀られています。

東山七条 148

他にもいくつかの建物がありました。
学寮遺構という建物は、第一行堂、第二行堂、第三行堂と三つありました。
集まった学徒たちが生活しで学業に励んだのかも?

東山七条 150

さて、これでだいたいのお堂をお参りできました。満足です^^

 総本山 智積院 HP >>

智積院の後篇で、拝観した国宝の数々を紹介します。

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Author:じゅみーcoco
伊勢神宮の近所で生まれ育って
現在、伊勢の隣の町に在住。

忙しかった子育ても一段落。
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歴史の舞台、遺跡etc
あちこちお出かけするぞ~~
御朱印ももらっちゃうもんね^^

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