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長崎母娘旅 12

日本最古の唐寺 興福寺  2023-10-2参拝 2024-1-27

なかなか長崎の記事が終わらないんだけど、
あと少しです。

まだ高野山の記事が控えてます。
記憶が薄れる前に書かないと~~~


10/1
伊丹空港→長崎空港→長崎駅前→福済寺→聖福寺→諏訪神社→松森天満宮→
稲佐山山頂展望台→稲佐山観光ホテル

10/2
稲佐山観光ホテル→中華街→清水寺→八坂神社→崇福寺→カフェ自由飛行→
大音寺→眼鏡橋→興福寺→大浦天主堂→グラバー園→中華街→カンデオホテルズ

10/3
カンデオホテルズ→出島→長崎駅前→長崎空港→関西国際空港

 - 東明山 興福寺 こうふくじ -

元和6年(1620)、中国僧真円が航海安全を祈願して
この地に小庵を造ったことに始まります。
長崎三福寺の一つ(または四福寺)
山門が朱塗りのため、「あか寺」とも呼ばれました。

黄檗宗の開祖である隠元和尚が召喚され、はじめて住持したお寺です。

原爆の被害を免れ、大雄宝殿(本堂)は国の重要文化財です。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

大音寺を参拝後、眼鏡橋を観光してちりんちりんアイスを食べました。
体調不良の娘さんも薬が効いて来たのか、かなり良くなってきたので、
長崎を代表する唐寺の興福寺に行くことにしました。


2023長崎 (282)

たくさんのお寺とたくさんの石橋。
お寺の裏の山の上には龍馬の亀山社中跡なんかもあります。
しっかり見たらここだけで余裕で1日かかります。

眼鏡橋から興福寺は300mほどです。
その間には商店街や飲食店など、楽しそうな所がいっぱいです。
行くお店もピックアップしてあったんだけど、また今度だね。


2023長崎 (283)

朱い山門。
大きな隠元和尚の肖像画が飾られています。

娘さんは山門で休憩すると言うので、私一人で境内に入りました。
拝観料は300円です。


2023長崎 (321)

初めの山門は承応3年(1654)隠元禅師の長崎滞在中に建立されました。
しかし9年後の長崎大火で本堂もろとも焼失。
元禄三年(1690)に、日本人工匠の手で再建、原爆で大破しましたが、
その後、再建されました。



2023長崎 (284)

扁額の「初登宝地」「東明山」は隠元禅師の書なんだって。
奥に見えるのは隠元和尚の像です。


2023長崎 (288)

境内に入りました。
ここは長い階段がなかったです。


2023長崎 (308)

本堂の大雄宝殿。

組子細工の扉や窓が凄いですね。
とてもキレイです。

現在の本堂は明治16年(1883)の再建。


2023長崎 (290)

最初の本堂は寛永9年(1632)第二代黙子如定禅師が建立、長崎大火で焼失。
元禄2年(1689)再建、慶応元年(1865)暴風のため大破し、
明治16年(1883)に再建です。


2023長崎 (314)

現在の本堂は、ほとんどが中国工匠による純粋の中国建築で、
資材も中国より運送したそうです。
異国情緒たっぷりですね。


2023長崎 (294)

由緒書き。

大雄宝殿(本堂)は国の重要文化財です。
中国江西省の劉覚が元和6年(1620)頃に渡来し、
真円と称して小庵を営んだのが興福寺の始まり。


2023長崎 (291)

彫刻とかアーチの天井とか中国の匠、凄いですね。

当時、長崎在住の中国人にもキリシタンの疑いが掛かった為、唐寺を建立し、
仏教徒である証明としました。

出身地ごとに崇福寺や福済寺を次々に建立しました。
興福寺は南京地方の出身者のお寺でした。


2023長崎 (318)

堂内は撮影不可だったので、写真が無いです。
御本尊は釈迦如来。

瑠璃燈と言う天井から吊るす燈篭が見所でしたが、
なんと、覚えていません;;
御本尊の姿もあまり記憶にないです;;

参拝はちゃんとしたんですけどね~


2023長崎 (305)

大きな写真があったので取りあえずパチリ。
キレイな韋駄天像です。

崇福寺にもキレイな韋駄天さんがいました。
ポーズも同じですね。


2023長崎 (304)

釈迦如来の胎内から金属製の五臓六腑と銅鏡が発見されました。
日本の習慣にはないので、中国からやって来た仏様という事です。

崇福寺の仏像からも五臓六腑が発見されていましたね。


2023長崎 (303)

細かい組子細工の窓。
不規則のように見える三角の中に丸窓があるって、
なんか凄いな~と感心してしまいました。

下の説明にある様に、当初は全面ガラスだったというから、
中国の匠、凄腕じゃん!


2023長崎 (306)

氷列式組子の丸窓、と言うんですね。
不規則に見える三角は氷列式なんですね~

原爆の影響はやはり大きかったようで、45年かけて現在の姿に修復されましたが、
ガラスにすることが出来なかったと書いてあります。
ステンドグラスのようだったと言う窓を見たかったですね。
まあ、堂内に入れてもらえないと よく分からないと思うけど。


2023長崎 (295)

唐寺には必須の媽祖堂です。

唐船には必ず媽祖様を祀り、港に着くと船から降ろしお寺に安置します。
これを「菩薩揚げ」といい、賑やかに隊列を組んで納めたそうです。


2023長崎 (296)

内部はやはり撮影不可ですが、
ちらっと脇侍の千里眼か順風耳らしき像が見えますね。

媽祖様はどんなお方だったか、記憶にないんですよね~
老化が進む私の記憶細胞は全く役に立ちません;;
写真があると思い出したりするんだけどな~
(HPで像を見たけど、思い出さなかったんだけどね^^;)


2023長崎 (297)

説明。
媽祖堂も寛文3年(1663)の大火で焼失したもよう。
寛文10年(1670)の扁額「海天司福主」が現存することから、
この頃に再建されたと思われます。
しかし、諸説あって現在のお堂がいつ建立されたのかは定かではないそうです。


2023長崎 (292)

鐘鼓楼。

崇福寺と同じく梵鐘と太鼓が置かれています。
梵鐘は戦時中に供出して今はないそうですが。


2023長崎 (287)

寛文3年(1663)の大火で焼失後、元禄4年(1691)に再建。
享保15年(1730)に日本人棟梁により重修。

ぱっと見は日本のお城にありそうな建物だな~と思ったら、
やっぱり日本人大工が建てたお堂でした。


2023長崎 (298)

屋根の鬼瓦は外向きが鬼面で厄除け、内向きが大黒天像で福徳の神という
珍しいもので「鬼は外、福は内」を日本人の棟梁が表したもの。


2023長崎 (299)

説明。


2023長崎 (300)

唐人屋敷門。

寛永18年(1641)オランダ人は出島に、
約50年後の元禄2年(1689)中国人は十善寺郷(現在の館内町)に住まわされました。

不自由な生活だったのかと思いきや、比較的外出は自由で、
広大な敷地内に住宅、店舗、祀堂などが軒を連ね一市街地を形成し、
唐館あるいは唐人屋敷と呼ばれたそうです。

要するにチャイナタウンだったんですね~
今もこの地域には中国のお堂などがいくつか残っているので、
時間があったら行きたいなと思っていましたが、やっぱり行けず。。。


2023長崎 (301)

説明。

やはり長崎大火で当時の建物は関帝堂以外すべて焼失してしまいました。
その後は自分たちで家を建てることを許可されました。

この門は旧唐人屋敷内に残っていた物を昭和35年に興福寺に移築しました。



2023長崎 (307)

三江会所門(さんこうかいしょもん)と言います。

興福寺は三江(江南・浙江・江西)出身の中国人にとって、菩提寺であり、
同時に同郷会館(集会所)でもありました。


2023長崎 (311)

三江会所門の説明。

明治元年(1868)唐人屋敷の処分が始まり、
新たに集会場として三江会所を設置しました。

会所は法事や会合で賑わったが、原爆により大破し、門だけが遺存。
純中国式で、大雄宝殿と同じ中国工匠の手になるものと思われます。


2023長崎 (309)

石碑が埋め込まれていますが、何が書いてあるのかは
どこにも説明がなく不明。


2023長崎 (310)

こちら側にも石碑がありますが、やっぱり内容は不明。


2023長崎 (312)

ブタ返しの敷居。
ブタが境内をウロウロしていたってこと?


2023長崎 (313)

門を入って振り返ると右側に窓が見えますが、
ここにも中国的な組格子の模様があります。

長崎に住む中国の人々は歴史の荒波を乗り越えて
力強く生きたいたんでしょうね。
さすが世界で活躍する華僑ですね。


2023長崎 (315)

庫裏へご朱印を頂きに行きます。


2023長崎 (316)

庫裏の入口は、中国風とも和風とも見えます。
魚板はごはん時に叩いてみんなに知らせる物です。


2023長崎 (317)

魚板の説明。

説明にあるように、HPの写真には上下に2匹がいました。
修理かな?今日は一匹です。


長崎興福寺朱印

御朱印。
中国風ですね~
福が来るようにと福の字が逆さになっているそうです。

なんて書いてあるのか読めないのですが、
ご本尊の釈迦如来って書いてあるのかな?


2023長崎 (286)

興福寺は創建した唐僧の真円に始まり、中国からの渡来僧が
住職を務めてきました。
しかし1700年代中頃にはなくなり、九代竺庵和尚以降は日本人が住職となりました。

二代目の唐僧 黙子如定は眼鏡橋を造ったお坊さんです。


2023長崎 (285)

隠元禅師は四度もの日招請は受けて承応三年(1654)長崎へ渡来。
長崎には隠元禅師を慕って僧や学者が何百人も集まったそうです。

禅師の来日は、当初3年の予定で本国から帰国要請が再三ありましたが、
引き止められ、将軍家綱に謁し残ることを決意しました。
その後、京都の宇治に黄檗宗大本山万福寺を開山し、81歳でこの地に永眠されました。


2023長崎 (319)

三門へ戻って来ると娘さんはネコと遊んでいました。
今日の参拝先はどこでもネコがいて、人懐っこく寄ってきます。

しっぽの曲がった尾曲ネコが多かったです。
このネコのしっぽは曲がってはいないですが、
ぶつっと切れてる感じで、やっぱり普通じゃないです。


2023長崎 (320)

ネコはのんびりと日向ぼっこしているようです。
いつもここが定位置なのかもしれませんね。
みんなに可愛がられているようです。

 東明山 興福寺 HP >>

次の記事は大浦天主堂とグラバー園です。

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伊勢神宮の近所で生まれ育って
現在、伊勢の隣の町に在住。

忙しかった子育ても一段落。
行きたかった神社、お寺、
歴史の舞台、遺跡etc
あちこちお出かけするぞ~~
御朱印ももらっちゃうもんね^^

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