バラと風鈴のおふさ観音
バラの咲き誇るおふさ観音 2023-5-20参拝 2023-10-25
朝夕が冷え込むようになって、日も短くなってきましたね。
この年になって来ると、子供は独立していったけど、
体もあちこち悪くなってくるし、親の介護に手こずることになってきます。
私もいろいろありましたが、落ち着いて来たので、
また社寺巡りを楽しみたいと思っています。
今度、念願の高野山に行くんですよ~楽しみです~
(フライングして奥の院だけ前に行ったけど。)
本日のコース
おふさ観音→今井町
- 高野山真言宗別格本山 観音寺 おふさ観音 -
創建は。。。はっきりしませんが。。。由緒では、
慶安3年(1650)4月、ある日の早朝のこと。
近くに住む「おふさ」という娘さんが、鯉ヶ淵のそばを歩いていると、
白い亀の背中に乗った観音様が現れたのです。
おふささんは、池のそばに小さなお堂を建て、
そこに観音様をおまつりすることにしました。
その観音様はご利益がると近隣で評判になり、
大切に祀られ、いつしか「おふさ観音」と呼ばれるようになりました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
朝夕が冷え込むようになって、日も短くなってきましたね。
この年になって来ると、子供は独立していったけど、
体もあちこち悪くなってくるし、親の介護に手こずることになってきます。
私もいろいろありましたが、落ち着いて来たので、
また社寺巡りを楽しみたいと思っています。
今度、念願の高野山に行くんですよ~楽しみです~
(フライングして奥の院だけ前に行ったけど。)
本日のコース
おふさ観音→今井町
- 高野山真言宗別格本山 観音寺 おふさ観音 -
創建は。。。はっきりしませんが。。。由緒では、
慶安3年(1650)4月、ある日の早朝のこと。
近くに住む「おふさ」という娘さんが、鯉ヶ淵のそばを歩いていると、
白い亀の背中に乗った観音様が現れたのです。
おふささんは、池のそばに小さなお堂を建て、
そこに観音様をおまつりすることにしました。
その観音様はご利益がると近隣で評判になり、
大切に祀られ、いつしか「おふさ観音」と呼ばれるようになりました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
先に書いたように、この年になると体の不調や親の介護で
何人かの遊び仲間もお出掛けし難くなってしまいました。
今回の旅のお供のOさんは壮絶な介護の末、
親を送り、また私とお出かけしてくれるようになりました。
おふさ観音はぼけ封じのお寺です。
ボケたら遊びに行けないもんね。
しっかりお参りしてこなくちゃ。

おふさ観音は橿原市にあります。
古い集落の中にあり、ナビに騙されて絶対車で通れない道を案内され、
集落の周りを三周もしましたーー;
それも細い道でやっとの思いで角を曲がる事を三回です;;

村の中にあるお寺なので、駐車場は広くありません。
ちょうどバラまつり開催中で、ちょっと遠くの駐車場があり、そこに停めました。
しかも最後の一台のスペース。

おふさ観音はいくつかの霊場になっています。

思った以上に人が多いです。
花って言うとなぜかお年の方々が集まりますよね。
キレイな物は癒し効果があるんでしょう。

まだ満開ではないのかな?
ネットで見たのは、もっと咲いていましたので、これからかも?

提灯はもうちょっと間引きしていいんじゃないでしょうか?
せっかくのバラがかすんでしまいます。

本堂。
朱い提灯で屋根しか見えません。
陽が落ちて提灯に明かりが灯ったらキレイでしょうね。

提灯、色とりどりになりました^^
本堂を拝観(300円)して、ご朱印を頂きました。
御本尊は秘仏十一面観音像。なのでお前立が祀られています。
毎年、4月17日、18日が御開帳です。

堂内はたくさんの仏像が祀られておりました。
さっき知ったのですが、寺宝として生き人形があるそうです。
見たような、見てないような????

生き人形って言うと、なんか恐ろしいイメージを抱きますが、
そうではなく幕末から明治にかけて活躍した天才人形師の
初代安本亀八作の「飯田喜八郎像」を所蔵してます。
ヨーロッパに行くと金持ちが自画像を画家に描かせるみたいに、
自分の像を造ってもらったんでしょうか?

ちょっとネットで安本亀八の生き人形を検索してみましたら
恐ろしいクオリティでした。
正に生き人形、夜の暗がりでこれを見たら悲鳴をあげるレベルです。
三重県の名張市にたくさん残っているそうですが、
お年寄りの坐像はそれほど恐ろしくはないです。
いや、暗闇で見たら怖いかな、やっぱり^^;

さて、由来となっている「おふさ」さんですが、江戸時代の初めの頃の人です。
当時この辺りには「鯉ヶ淵(こいがふち)」と呼ばれる、大きな池がありました。

慶安3年(1650)4月の早朝におふささんが、鯉ヶ淵のそばを歩いていると、
白い亀の背中に乗った観音様が、目の前に現れました。
おふささんは、池のそばに小さなお堂を建て、
そこに観音様をおまつりすることにしました。

観音様は願い事をかなえてくださると、近くの村人たちに厚く信仰され、
大切にまつられ、やがて「おふさ観音」と呼ばれるようになったといいます。

はじめはきっと誰も気にも留めなかったでしょうけど、
毎日おふささんが拝んでいて、彼女が幸運にでも恵まれたら
みんな自分も!って拝むんですよね~
事の始まりってこんなもんだろうなって思います。

庭園のお堂はお茶席になってましたので、一休みです。

華やかに飾ってありますね。
おふさ観音は「元気の出るお寺」でありたいと努力されているそうです。
美しいものを見たり、楽しい事があると人は元気が出ますからね。

現在のような立派なお寺になったのは明治になってからです。
様々な人たちが協力して寄付を集め、現在の本堂が建てられました。
長い間、小さな祠だったのかな?

お善哉を頂きました。

近所のおばちゃんたちがワイワイやってる感じのお見せです。
でも写真を撮りたくなるくらいカワイイです。

明治になってからこのお庭も造ったのね。

こちらは本堂の裏側です。

この観音さんは御本尊の御前立ではないです。
でも凄くキレイだし、いい具合に古いです。

鐘楼。

恵比寿さん。

恵比寿さんに寄り添う鯛。

境内社。

境内社の中のひとつのお社。
なぜか春日神社のお札が置かれていますが、このお方は融通弁財天さんです。
ちょっとコミカルに見えます。
あいこち歪んでいますが、厨子が美しいくて写真に撮りました。

もう一つの境内社。

見えにくいけどお稲荷さん。

福神山と書かれています。
立派な塔と七福神の神様がいらっしゃるようです。
あちこちから仏像などがおふさ観音に集められたりしたのかな?
小さいけど立派に見えます。

おふさ観音は当時の偉い人や金持ちが造ったお寺ではなく、
庶民が造った庶民の為のお寺でした。
今でも庶民の為の庶民が元気になれるお寺です。

観音さんの御朱印。

観音さんのバラまつりの御朱印。

恵比寿さんの御朱印。
おふさ観音 HP >>
次は近くの重要伝統的建造物群保存地区の今井町へ行きます。
<< いなべ 金井神社 橿原 今井町(歴史保存地区) >>

何人かの遊び仲間もお出掛けし難くなってしまいました。
今回の旅のお供のOさんは壮絶な介護の末、
親を送り、また私とお出かけしてくれるようになりました。
おふさ観音はぼけ封じのお寺です。
ボケたら遊びに行けないもんね。
しっかりお参りしてこなくちゃ。

おふさ観音は橿原市にあります。
古い集落の中にあり、ナビに騙されて絶対車で通れない道を案内され、
集落の周りを三周もしましたーー;
それも細い道でやっとの思いで角を曲がる事を三回です;;

村の中にあるお寺なので、駐車場は広くありません。
ちょうどバラまつり開催中で、ちょっと遠くの駐車場があり、そこに停めました。
しかも最後の一台のスペース。

おふさ観音はいくつかの霊場になっています。

思った以上に人が多いです。
花って言うとなぜかお年の方々が集まりますよね。
キレイな物は癒し効果があるんでしょう。

まだ満開ではないのかな?
ネットで見たのは、もっと咲いていましたので、これからかも?

提灯はもうちょっと間引きしていいんじゃないでしょうか?
せっかくのバラがかすんでしまいます。

本堂。
朱い提灯で屋根しか見えません。
陽が落ちて提灯に明かりが灯ったらキレイでしょうね。

提灯、色とりどりになりました^^
本堂を拝観(300円)して、ご朱印を頂きました。
御本尊は秘仏十一面観音像。なのでお前立が祀られています。
毎年、4月17日、18日が御開帳です。

堂内はたくさんの仏像が祀られておりました。
さっき知ったのですが、寺宝として生き人形があるそうです。
見たような、見てないような????

生き人形って言うと、なんか恐ろしいイメージを抱きますが、
そうではなく幕末から明治にかけて活躍した天才人形師の
初代安本亀八作の「飯田喜八郎像」を所蔵してます。
ヨーロッパに行くと金持ちが自画像を画家に描かせるみたいに、
自分の像を造ってもらったんでしょうか?

ちょっとネットで安本亀八の生き人形を検索してみましたら
恐ろしいクオリティでした。
正に生き人形、夜の暗がりでこれを見たら悲鳴をあげるレベルです。
三重県の名張市にたくさん残っているそうですが、
お年寄りの坐像はそれほど恐ろしくはないです。
いや、暗闇で見たら怖いかな、やっぱり^^;

さて、由来となっている「おふさ」さんですが、江戸時代の初めの頃の人です。
当時この辺りには「鯉ヶ淵(こいがふち)」と呼ばれる、大きな池がありました。

慶安3年(1650)4月の早朝におふささんが、鯉ヶ淵のそばを歩いていると、
白い亀の背中に乗った観音様が、目の前に現れました。
おふささんは、池のそばに小さなお堂を建て、
そこに観音様をおまつりすることにしました。

観音様は願い事をかなえてくださると、近くの村人たちに厚く信仰され、
大切にまつられ、やがて「おふさ観音」と呼ばれるようになったといいます。

はじめはきっと誰も気にも留めなかったでしょうけど、
毎日おふささんが拝んでいて、彼女が幸運にでも恵まれたら
みんな自分も!って拝むんですよね~
事の始まりってこんなもんだろうなって思います。

庭園のお堂はお茶席になってましたので、一休みです。

華やかに飾ってありますね。
おふさ観音は「元気の出るお寺」でありたいと努力されているそうです。
美しいものを見たり、楽しい事があると人は元気が出ますからね。

現在のような立派なお寺になったのは明治になってからです。
様々な人たちが協力して寄付を集め、現在の本堂が建てられました。
長い間、小さな祠だったのかな?

お善哉を頂きました。

近所のおばちゃんたちがワイワイやってる感じのお見せです。
でも写真を撮りたくなるくらいカワイイです。

明治になってからこのお庭も造ったのね。

こちらは本堂の裏側です。

この観音さんは御本尊の御前立ではないです。
でも凄くキレイだし、いい具合に古いです。

鐘楼。

恵比寿さん。

恵比寿さんに寄り添う鯛。

境内社。

境内社の中のひとつのお社。
なぜか春日神社のお札が置かれていますが、このお方は融通弁財天さんです。
ちょっとコミカルに見えます。
あいこち歪んでいますが、厨子が美しいくて写真に撮りました。

もう一つの境内社。

見えにくいけどお稲荷さん。

福神山と書かれています。
立派な塔と七福神の神様がいらっしゃるようです。
あちこちから仏像などがおふさ観音に集められたりしたのかな?
小さいけど立派に見えます。

おふさ観音は当時の偉い人や金持ちが造ったお寺ではなく、
庶民が造った庶民の為のお寺でした。
今でも庶民の為の庶民が元気になれるお寺です。

観音さんの御朱印。

観音さんのバラまつりの御朱印。

恵比寿さんの御朱印。

次は近くの重要伝統的建造物群保存地区の今井町へ行きます。
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