犬山めぐり 1
国宝犬山城と城下町 2023-4-19訪問 2023-9-11
我が家にはまだ里帰り中の母子がいます^^;
新生児は乳幼児になってきまして、あやすと笑って
可愛くなってきました。
バーバは必死に孫守をしておりまして、
なかなかブログは進んでいません;;
本日のコース
犬山城と城下町→三光稲荷神社→針網神社→桃太郎神社
- 犬山城 いぬやまじょう -
犬山城は現存12天守の一つであり、天守が国宝指定された5城の一つです。
文明元年(1469)に岩倉織田氏が砦を築いたのが始まり。
室町時代の天文6年(1537)に織田信長の叔父・信康が築城しました。
元和3年(1617) 尾張藩付家老の成瀬正成が城主となりました。
現在は成瀬家が理事長を務める財団法人が所有しています。
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我が家にはまだ里帰り中の母子がいます^^;
新生児は乳幼児になってきまして、あやすと笑って
可愛くなってきました。
バーバは必死に孫守をしておりまして、
なかなかブログは進んでいません;;
本日のコース
犬山城と城下町→三光稲荷神社→針網神社→桃太郎神社
- 犬山城 いぬやまじょう -
犬山城は現存12天守の一つであり、天守が国宝指定された5城の一つです。
文明元年(1469)に岩倉織田氏が砦を築いたのが始まり。
室町時代の天文6年(1537)に織田信長の叔父・信康が築城しました。
元和3年(1617) 尾張藩付家老の成瀬正成が城主となりました。
現在は成瀬家が理事長を務める財団法人が所有しています。
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娘2人が一緒に遊びに行くと言う。
母さんもおいで、、、と言う。
娘も子供が生まれたら母娘3人でお出掛けもなかなかできないしな~
せっかく誘ってもらったんだから行くか。
と言う訳で、犬山へ行くことになりました。
犬山と言えば国宝犬山城。
それとTVでも紹介される犬山城下町。
どちらも行ってみたいと思っていたのでちょうど良かったです。

犬山は愛知県の北部にあります。
木曽川沿いに犬山城があり、木曽川の向こう岸は岐阜県です。
駐車場はあちこちにありますがどれも有料です。
今日は平日なのでお城の駐車場に停める事が出来ました。

駐車場は半分くらいは車が停まっており、観光客も多いです。
観光案内所もあるので観光情報も集められます。
帰りに御城印をもらいます。

どこのお城もそうなんですけど、木が大き過ぎで良く見えないです。
お城が使われて頃は、もっと見通しが良かったんでしょうけどね。
歳月の長さを感じます。

お城の麓にある三光稲荷神社。

こちらもお城の麓にある針網神社。
どちらの神社も後で参拝します。

犬山城の古地図。

まずは何か食べたい。
観光客の集まりそうな飲食スペース。

思い思いに好きな物を買いました。
まあ、観光客向けです。

町並保存で電柱はありません。

わらび餅ドリンク~

ドーナツ~

ワッフル~

焼きおにぎり~
なんだかんだと食べました。
いつもと違って女子旅っぽいでしょ~
写真は失敗したのが多いけど。

私はここの恋小町だんごを食べようと決めてきたのですが、
なんと、団子やさんは休みです。。。
串に刺した団子をめっちゃ可愛く飾り付けてある団子です。
いかにも女の子が好きそうなインスタ映えする団子です。

昭和横丁の内部。
中にもたくさんのお店があります。

お昼になって人が増えてきました。
ウェディングフォトの撮影に来ていた新郎新婦。
素敵な写真はとれたでしょうか^^

犬山城へ行きます。
神社の中を通ってお城へ行きます。

行きは三光稲荷神社の境内を通って行きます。
⇑犬山成と書いた道案内もあります。こっちで良いの?って思う人もいるんでしょうね。
もちろん参拝も御朱印も頂きましたよ。
帰りは針網神社の境内から帰ります。

お城の説明も出てきましたね、もうすぐです。

やっとお城らしい石垣が出てきました。

天守閣が見えます。

犬山城の歴史。
前身は文明元年(1469)応仁の乱の真っただ中に 岩倉織田氏の織田広近が
この地に砦を築いたのが始まりと言われています。
天文6年(1537) 清洲三奉行の織田信秀の弟・織田信康(信長の叔父)は木ノ下城を廃し、
現在の位置に城郭(乾山の砦)を造営して移りました。

木曽川沿いの小高い山の上に建てられた犬山城は、中山道と木曽街道に通じ、
木曽川による交易、政治、経済の要衝として、戦国時代を通じて重要な拠点となりました。
戦国時代にはいろいろな武将が城主となりましたが、
江戸時代に尾張藩付家老の成瀬正成が城主となり、成瀬家9代の居城となりました。

入場料は550円です。
昔の階段はなんでこんなに急なんでしょう?
きっと何か意味があるんじゃないかと思うのですが…
調べてみました。
敵の侵入を防ぐため、と言う意味もあったようですが、
これが当時の普通の階段だったそうです。
な~~んだ、普通なんだ。

天守閣内部の階段もこんな感じ。
勾配は50゜前後が一般的だったそうです。
ちなみに一般家庭は40゜ですって。
やっぱり急ですよね。

天守閣内は博物館になっています。
せっかくなので鎧兜を撮りました。

上段の間。城主が使用した部屋です。
後ろの扉は武者隠し。殿を守る武士が隠れていました。
自分の城なんだから護衛は隠さなくてもいいんじゃないの?

付櫓からの景色。

説明。

この連子窓から覗きました。

連子窓から覗いた景色を天守閣の最上階から見ました。
昔はここにも建物が建っていたんでしょうか?
お城の構造は興味が無いのでさっぱり分かりません。

天守閣の回廊はほんのり外側に傾斜が付いていて、
手摺は低いし、すごく怖いです。
だいたいこのヒビの入った木の手摺は信用できない!

下を流れる長良川。
濃尾平野を見渡せます。

こちらは北の山々が見えます。

犬山城の眼下に見えるのは有楽苑(ゆうらくえん)と言う日本庭園です。
苑内には、国宝茶室「如庵」、重要文化財「旧正伝院書院」があります。
如庵は織田信長の弟の茶人の織田有楽斎(うらくさい)が京都の建仁寺に
創建した茶室で、昭和47年(1972)に移築されました。

犬山の北側の街。
成田山名古屋別院やモンキーパークの観覧車が見えます。

今日は平日で人が少なかったですが、休日は凄い人のようです。
あの階段をたくさんの人が昇り降りすると思うとちょっと怖いです。

現存天守は12あるうちの彦根城とここの二つしか行ったことがありません。
そんなにお城が好きなわけではないんですが、行ってみたいと思います。
死ぬまでに行けたらいいかな。
国宝犬山城 HP >>

観光案内所でもらった御城印。
いくつか種類がありましたがオーソドックスな印を選びました。
次は城の前にある三光稲荷神社の記事を書きます。
<< 和歌山6 伊太祁曾神社 犬山2 三光稲荷神社 >>

母さんもおいで、、、と言う。
娘も子供が生まれたら母娘3人でお出掛けもなかなかできないしな~
せっかく誘ってもらったんだから行くか。
と言う訳で、犬山へ行くことになりました。
犬山と言えば国宝犬山城。
それとTVでも紹介される犬山城下町。
どちらも行ってみたいと思っていたのでちょうど良かったです。

犬山は愛知県の北部にあります。
木曽川沿いに犬山城があり、木曽川の向こう岸は岐阜県です。
駐車場はあちこちにありますがどれも有料です。
今日は平日なのでお城の駐車場に停める事が出来ました。

駐車場は半分くらいは車が停まっており、観光客も多いです。
観光案内所もあるので観光情報も集められます。
帰りに御城印をもらいます。

どこのお城もそうなんですけど、木が大き過ぎで良く見えないです。
お城が使われて頃は、もっと見通しが良かったんでしょうけどね。
歳月の長さを感じます。

お城の麓にある三光稲荷神社。

こちらもお城の麓にある針網神社。
どちらの神社も後で参拝します。

犬山城の古地図。

まずは何か食べたい。
観光客の集まりそうな飲食スペース。

思い思いに好きな物を買いました。
まあ、観光客向けです。

町並保存で電柱はありません。

わらび餅ドリンク~

ドーナツ~

ワッフル~

焼きおにぎり~
なんだかんだと食べました。
いつもと違って女子旅っぽいでしょ~
写真は失敗したのが多いけど。

私はここの恋小町だんごを食べようと決めてきたのですが、
なんと、団子やさんは休みです。。。
串に刺した団子をめっちゃ可愛く飾り付けてある団子です。
いかにも女の子が好きそうなインスタ映えする団子です。

昭和横丁の内部。
中にもたくさんのお店があります。

お昼になって人が増えてきました。
ウェディングフォトの撮影に来ていた新郎新婦。
素敵な写真はとれたでしょうか^^

犬山城へ行きます。
神社の中を通ってお城へ行きます。

行きは三光稲荷神社の境内を通って行きます。
⇑犬山成と書いた道案内もあります。こっちで良いの?って思う人もいるんでしょうね。
もちろん参拝も御朱印も頂きましたよ。
帰りは針網神社の境内から帰ります。

お城の説明も出てきましたね、もうすぐです。

やっとお城らしい石垣が出てきました。

天守閣が見えます。

犬山城の歴史。
前身は文明元年(1469)応仁の乱の真っただ中に 岩倉織田氏の織田広近が
この地に砦を築いたのが始まりと言われています。
天文6年(1537) 清洲三奉行の織田信秀の弟・織田信康(信長の叔父)は木ノ下城を廃し、
現在の位置に城郭(乾山の砦)を造営して移りました。

木曽川沿いの小高い山の上に建てられた犬山城は、中山道と木曽街道に通じ、
木曽川による交易、政治、経済の要衝として、戦国時代を通じて重要な拠点となりました。
戦国時代にはいろいろな武将が城主となりましたが、
江戸時代に尾張藩付家老の成瀬正成が城主となり、成瀬家9代の居城となりました。

入場料は550円です。
昔の階段はなんでこんなに急なんでしょう?
きっと何か意味があるんじゃないかと思うのですが…
調べてみました。
敵の侵入を防ぐため、と言う意味もあったようですが、
これが当時の普通の階段だったそうです。
な~~んだ、普通なんだ。

天守閣内部の階段もこんな感じ。
勾配は50゜前後が一般的だったそうです。
ちなみに一般家庭は40゜ですって。
やっぱり急ですよね。

天守閣内は博物館になっています。
せっかくなので鎧兜を撮りました。

上段の間。城主が使用した部屋です。
後ろの扉は武者隠し。殿を守る武士が隠れていました。
自分の城なんだから護衛は隠さなくてもいいんじゃないの?

付櫓からの景色。

説明。

この連子窓から覗きました。

連子窓から覗いた景色を天守閣の最上階から見ました。
昔はここにも建物が建っていたんでしょうか?
お城の構造は興味が無いのでさっぱり分かりません。

天守閣の回廊はほんのり外側に傾斜が付いていて、
手摺は低いし、すごく怖いです。
だいたいこのヒビの入った木の手摺は信用できない!

下を流れる長良川。
濃尾平野を見渡せます。

こちらは北の山々が見えます。

犬山城の眼下に見えるのは有楽苑(ゆうらくえん)と言う日本庭園です。
苑内には、国宝茶室「如庵」、重要文化財「旧正伝院書院」があります。
如庵は織田信長の弟の茶人の織田有楽斎(うらくさい)が京都の建仁寺に
創建した茶室で、昭和47年(1972)に移築されました。

犬山の北側の街。
成田山名古屋別院やモンキーパークの観覧車が見えます。

今日は平日で人が少なかったですが、休日は凄い人のようです。
あの階段をたくさんの人が昇り降りすると思うとちょっと怖いです。

現存天守は12あるうちの彦根城とここの二つしか行ったことがありません。
そんなにお城が好きなわけではないんですが、行ってみたいと思います。
死ぬまでに行けたらいいかな。


観光案内所でもらった御城印。
いくつか種類がありましたがオーソドックスな印を選びました。
次は城の前にある三光稲荷神社の記事を書きます。
<< 和歌山6 伊太祁曾神社 犬山2 三光稲荷神社 >>
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