和歌山家族旅行 6
木の神様 伊太祁曽神社 2023-3-12参拝 2023-8-16
お盆に台風直撃でしたね。
どうせどこにも行く予定はなかったんですけど。
新生児はあちらの家に行ったので、久しぶりにゆっくりと
平和な日々を送りました。
いろいろ都合があって、盆明けに帰って来るんですけどね、新生児。
1日目のコース
日前神宮・國懸神宮→和歌山城→和歌山マリーナシティ
2日目のコース
鷲峰山 興国寺→白崎海岸→伊太祁曽神社
- 伊太祁曽神社 いたきそじんじゃ -
主祭神は五十猛命 (いたけるのみこと)。別名は大屋毘古神。
素戔嗚尊の子供で日本中に木を植えて回った神様です。
創建は不明。
「続日本紀」に初めて社名が登場します。
古くは現在の日前宮の地に祀られていたが、垂仁天皇16年に
日前神・国懸神が同所で祀られることになったので、
その地を明け渡したと社伝に伝えられます。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
お盆に台風直撃でしたね。
どうせどこにも行く予定はなかったんですけど。
新生児はあちらの家に行ったので、久しぶりにゆっくりと
平和な日々を送りました。
いろいろ都合があって、盆明けに帰って来るんですけどね、新生児。
1日目のコース
日前神宮・國懸神宮→和歌山城→和歌山マリーナシティ
2日目のコース
鷲峰山 興国寺→白崎海岸→伊太祁曽神社
- 伊太祁曽神社 いたきそじんじゃ -
主祭神は五十猛命 (いたけるのみこと)。別名は大屋毘古神。
素戔嗚尊の子供で日本中に木を植えて回った神様です。
創建は不明。
「続日本紀」に初めて社名が登場します。
古くは現在の日前宮の地に祀られていたが、垂仁天皇16年に
日前神・国懸神が同所で祀られることになったので、
その地を明け渡したと社伝に伝えられます。
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有田方面からミカンを買って和歌山市へ戻ってきました。
伊太祁曽神社は和歌山市の中心からかなり外れた所で、
田畑や山が多くてのんびりした田舎って感じです。

ずーっと向こうに一の鳥居が見えます。
そのずーっと向こうに和歌山電鉄・貴志川線の伊太祈曽駅があります。
貴志川ってどこかで聞いたなと思ったら、少し前に話題になった
タマ駅長っていうネコが居たのが貴志川駅でした。
現在は2代目タマ駅長がいるそうです。

貴志川線は日前宮、竈山神社(2019年7月参拝!)、伊太祁曽神社を参拝することを
三社参りと言いその為に開業した鉄道だそうです。
社寺への参拝って昔はレジャーだったんですよね。
そのせいか、レンタサイクルや歩きで参拝に来ている人が結構いました。

伊太祁曽神社の祭神は 五十猛命 (いたけるのみこと)、素戔嗚尊の子供です。
日本書紀によりますと高天原を追われた素戔嗚尊は、五十猛神と共に新羅国に天降りますが、
その地は気に入らず埴土で船を造り出雲国にやってきます。
そして有名な八岐大蛇の神話へ続きます。

その後、素戔嗚尊は高天原から持ってきた木の種を五十猛命に渡して
日本中にその種を蒔くように命じます。
五十猛命は妹である大屋津姫命・都麻津姫命と共に木を植え、
最後に木の国(紀伊国)に降り立ち、この地に祀られました。

中門。
真ん中に主祭神の五十猛神、左脇殿に大屋都姫命、右脇殿に都麻津姫命を祀ります。
伊太祁曽神社の名前が文献に登場するのは「続日本紀」です。
いつ鎮座したかは不明です。

中門から覗いてみました^^;
立派なお社が三つ見えました。
この三兄妹は元は日前宮の場所に祀られていました。
垂仁天皇16年ごろに山東(現在の地域)に遷座したようです。

初めは現在地から、南東に500mほど離れた「亥の森」に遷座しました。
和銅6年(西暦713年)に現在の場所に遷りました。
「亥の森」は現在もこんもりとした鎮守の杜で、
伊太祁曽神社の境外社の三生神社となっています。

さて、どうして日前宮は伊太祁曽神社の場所に来たかったんでしょうね?
伊太祁曽神社もあっさり譲ったわけではないと思うのですが。
何か揉め事があったんでしょうね。
当時、日前宮は紀伊国造の一族が祀っていた神社で力があったようです。

拝殿に置かれた木彫りの干支。
ここには「木の俣くぐり」の大きな木の幹もあり、ちゃんと潜ったんですけど
写真を撮り忘れました。
『古事記』のオオヤビコ(五十猛命)が木俣をくぐらせて
オオナムチを逃がした説話に因んだものだそうです。

おさる石。
猿の顔に見える、、、まあ、見えるかな。
首より上の病に効くそうです。

蛭子神社。
お社の中には近隣の合祀した神社が祀られています。

氣生(キショウ)神社。
五十猛命荒御魂が祀られています。
伊太祁曽神社は紀伊国一之宮です。
昨日、行った日前宮も一之宮です。
そして高野山の近くの丹生都比売神社(2016年9月参拝)も一之宮です。
紀伊国には一之宮が三つもあるんです。

拝殿と社務所。
社務所は2階建てで立派ですね~常盤殿と書いてありました。
古代は日前宮が力を持っていたらしいですが、徐々に微衰し、
丹生都比売神社は高野山と、伊太祁曽神社は根来寺と結びつき、
力を付けて繫栄していったそうです。

早咲の桜がキレイです。
社務所でご朱印を頂きました。
かつては境内に神宮寺として「興徳院」という寺院がありましあが、
現在は廃寺となっています。

シンプルな御朱印です。

御井社への道。
写真に写っていないですが、左にカフェがあります。
御井社の水を使ったコーヒーと書いてありました。

御井社の説明。

ちょっと不安になる参道。
先が見えないと大丈夫か?って思いますよね。

思ったよりしっかり整備されていました。
ご神水ですね。

傍らには龍神の木彫り。

小さなお社の祭神は彌都波能売神(みずはめのかみ)。
水を司る女神であります。

こちらは祇園神社への道。
五十猛命の父神である素戔嗚尊を祀ります。
どのくらい距離があるのか分からなかったので、参拝に行っていません。
磐座もあったそうです。

祇園神社の説明。

二の鳥居をくぐった所に架かる神橋。

二の鳥居。
この鳥居の前にあるのが。。。

こんもりした山と謎の道。

こちらは「ときわ山」で古墳が3基あります。
行っていません。

こちらは「伊太祁曽神社の切り通し」。
「伊太祁曽神社の」と書いてあったので、神社の何かがあると思い、
行ってみましたが普通の家がありました。

とても静かでゆっくり時間が流れているような神社でした。
伊太祁曽神社 HP >>
和歌山家族旅行 おわり
次は5月に愛知県の犬山へ行った記事を書きます。
<< 和歌山5 白崎海洋公園 犬山1 犬山城と城下町 >>

伊太祁曽神社は和歌山市の中心からかなり外れた所で、
田畑や山が多くてのんびりした田舎って感じです。

ずーっと向こうに一の鳥居が見えます。
そのずーっと向こうに和歌山電鉄・貴志川線の伊太祈曽駅があります。
貴志川ってどこかで聞いたなと思ったら、少し前に話題になった
タマ駅長っていうネコが居たのが貴志川駅でした。
現在は2代目タマ駅長がいるそうです。

貴志川線は日前宮、竈山神社(2019年7月参拝!)、伊太祁曽神社を参拝することを
三社参りと言いその為に開業した鉄道だそうです。
社寺への参拝って昔はレジャーだったんですよね。
そのせいか、レンタサイクルや歩きで参拝に来ている人が結構いました。

伊太祁曽神社の祭神は 五十猛命 (いたけるのみこと)、素戔嗚尊の子供です。
日本書紀によりますと高天原を追われた素戔嗚尊は、五十猛神と共に新羅国に天降りますが、
その地は気に入らず埴土で船を造り出雲国にやってきます。
そして有名な八岐大蛇の神話へ続きます。

その後、素戔嗚尊は高天原から持ってきた木の種を五十猛命に渡して
日本中にその種を蒔くように命じます。
五十猛命は妹である大屋津姫命・都麻津姫命と共に木を植え、
最後に木の国(紀伊国)に降り立ち、この地に祀られました。

中門。
真ん中に主祭神の五十猛神、左脇殿に大屋都姫命、右脇殿に都麻津姫命を祀ります。
伊太祁曽神社の名前が文献に登場するのは「続日本紀」です。
いつ鎮座したかは不明です。

中門から覗いてみました^^;
立派なお社が三つ見えました。
この三兄妹は元は日前宮の場所に祀られていました。
垂仁天皇16年ごろに山東(現在の地域)に遷座したようです。

初めは現在地から、南東に500mほど離れた「亥の森」に遷座しました。
和銅6年(西暦713年)に現在の場所に遷りました。
「亥の森」は現在もこんもりとした鎮守の杜で、
伊太祁曽神社の境外社の三生神社となっています。

さて、どうして日前宮は伊太祁曽神社の場所に来たかったんでしょうね?
伊太祁曽神社もあっさり譲ったわけではないと思うのですが。
何か揉め事があったんでしょうね。
当時、日前宮は紀伊国造の一族が祀っていた神社で力があったようです。

拝殿に置かれた木彫りの干支。
ここには「木の俣くぐり」の大きな木の幹もあり、ちゃんと潜ったんですけど
写真を撮り忘れました。
『古事記』のオオヤビコ(五十猛命)が木俣をくぐらせて
オオナムチを逃がした説話に因んだものだそうです。

おさる石。
猿の顔に見える、、、まあ、見えるかな。
首より上の病に効くそうです。

蛭子神社。
お社の中には近隣の合祀した神社が祀られています。

氣生(キショウ)神社。
五十猛命荒御魂が祀られています。
伊太祁曽神社は紀伊国一之宮です。
昨日、行った日前宮も一之宮です。
そして高野山の近くの丹生都比売神社(2016年9月参拝)も一之宮です。
紀伊国には一之宮が三つもあるんです。

拝殿と社務所。
社務所は2階建てで立派ですね~常盤殿と書いてありました。
古代は日前宮が力を持っていたらしいですが、徐々に微衰し、
丹生都比売神社は高野山と、伊太祁曽神社は根来寺と結びつき、
力を付けて繫栄していったそうです。

早咲の桜がキレイです。
社務所でご朱印を頂きました。
かつては境内に神宮寺として「興徳院」という寺院がありましあが、
現在は廃寺となっています。

シンプルな御朱印です。

御井社への道。
写真に写っていないですが、左にカフェがあります。
御井社の水を使ったコーヒーと書いてありました。

御井社の説明。

ちょっと不安になる参道。
先が見えないと大丈夫か?って思いますよね。

思ったよりしっかり整備されていました。
ご神水ですね。

傍らには龍神の木彫り。

小さなお社の祭神は彌都波能売神(みずはめのかみ)。
水を司る女神であります。

こちらは祇園神社への道。
五十猛命の父神である素戔嗚尊を祀ります。
どのくらい距離があるのか分からなかったので、参拝に行っていません。
磐座もあったそうです。

祇園神社の説明。

二の鳥居をくぐった所に架かる神橋。

二の鳥居。
この鳥居の前にあるのが。。。

こんもりした山と謎の道。

こちらは「ときわ山」で古墳が3基あります。
行っていません。

こちらは「伊太祁曽神社の切り通し」。
「伊太祁曽神社の」と書いてあったので、神社の何かがあると思い、
行ってみましたが普通の家がありました。

とても静かでゆっくり時間が流れているような神社でした。

和歌山家族旅行 おわり
次は5月に愛知県の犬山へ行った記事を書きます。
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