御霊神社本宮
井上内親王を祀る御霊神社本宮 2022-9-17参拝 2023-5-19
最近、暑かったり寒かったりで体調不良の人が増えています。
良い気候のはずなんですけどね、気を付けたいと思います。
本日のコース
寄足山 生蓮寺→御霊神社本宮
- 御霊神社本宮 ごりょうじんじゃほんぐう -
創建は延暦19年(800)、祟り神である井上内親王を祀りました。
井上内親王は政権争いに巻き込まれ巫蠱の罪により、
宇智郡(五條市)に幽閉され、この地で亡くなりました。
その後、都に天変地異が起こり悪疫が流行したため、
内親王の怨霊の祟りと恐れ霊安寺と御霊神社を創建しました。
その後、分霊され五條市周辺には23の御霊神社があると伝わります。
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最近、暑かったり寒かったりで体調不良の人が増えています。
良い気候のはずなんですけどね、気を付けたいと思います。
本日のコース
寄足山 生蓮寺→御霊神社本宮
- 御霊神社本宮 ごりょうじんじゃほんぐう -
創建は延暦19年(800)、祟り神である井上内親王を祀りました。
井上内親王は政権争いに巻き込まれ巫蠱の罪により、
宇智郡(五條市)に幽閉され、この地で亡くなりました。
その後、都に天変地異が起こり悪疫が流行したため、
内親王の怨霊の祟りと恐れ霊安寺と御霊神社を創建しました。
その後、分霊され五條市周辺には23の御霊神社があると伝わります。
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御霊神社本宮は吉野川と丹生川が合流する地点にあります。
田畑が広がる中に集落が点在して、のんびりした田舎って感じです。
ネット地図を見ていると、あちこちに御霊神社があります。
その大元がここの御霊神社です。
本宮と名が付くくらいだから大きな神社だろうと思って行きました。

確かに立派な神社です。
でも、誰もいないしとても静かです。
奈良の地方にある歴史ある神社に有りがちなんですが、
凄く大きいし立派なんだけど、静かというか、閑散としている感じが否めません。
そうだよね、誰もが知っている神社ではないから
たくさんの人が来る事は期待できないです。

御霊神社縁起。
ちょっと小さくて読めないですね;;
井上内親王の悲しい人生が書かれています。

井上内親王は聖武天皇の皇女で白壁王(光仁天皇)の皇后です。
宝亀3年(772)光仁天皇を呪詛したとされ、
皇太子であった息子の他戸親王と共に皇后、皇太子を廃されました。
さらに宝亀4年(773)薨去した難波内親王(光仁天皇の同母姉)を呪詛し殺害したとされ、
他戸親王と共に庶人に落とされ大和国宇智郡(現在の奈良県五條市)の没官の邸に
幽閉され、宝亀6年(775)4月27日に他戸親王と逝去します。
同じ日に2人死ぬなんて不自然なので、自殺とも暗殺とも言われています。
御霊神社の近くに井上内親王の御陵も他戸親王の墓もあります。
どちらも宮内庁の管理です。

境内社。
井上内親王と他戸親王の死後2カ月経った頃から都に異変が起こります。
光仁天皇擁立の功労者である藤原蔵下麻呂が死没。
瓦石や土塊が毎夜落下、妖怪が出没、大祓を行い僧600人に大般若経を読ませましたが、
光仁天皇擁立の功労者の一人の藤原良嗣が死没。
さらに井戸水が涸れ、井上内親王失脚の首謀者たちは悪夢にうなされます。
桓武天皇の御代になっても都は安定しません。
藤原種継が暗殺され、他戸親王の異母兄である早良親王が捕らえられます。
早良親王は無実を主張し、淡路へ流される途中で死去します。
これにより祟り神がもう一人誕生したわけです。

本殿に井上内親王、南脇社殿に他戸親王、北脇社殿に早良親王が祀られています。
少し離れた所に別宮があり火雷神が祀られています。
延暦19年(800)桓武天皇は葛井王を宇智郡に遣わし皇后の復位し御墓を山陵とします。
この時に葛井王により霊安寺が建立され、同時に御霊神社も創建されたと伝わっています。

霊安寺は明治に廃寺となり、仏像什物などは満願寺に移されました。
満願寺の近くには礎石と思われる石が残っています。
霊安寺は三重塔を擁したかなり大きなお寺だったようです。
ここの地名は霊安寺町です。
満願寺はすぐ近くですが、行ってないです;;

県の重要文化財になっている本殿は修復中で全く見えませんでした。
寛永14年(1637)に造営されています。

御朱印は書置きを頂きました。

境内の稲荷社。
五條市一円に御霊神社はたくさんあります。
23社あるとされますが、現在確認されているのは22社です。
嘉禎4年(1238)2月、河南の豪族である吉原氏と、華北の豪族の牧野氏が言い争ったことで、
御霊神社が十か所に分祀(宮分け)されました。
その後、各村々にどんどん分祀されていったようです。

こちらは多分、社務所。
なんか、BQQのいい匂いとワイワイ楽しそうな声が聞こえてました。
御朱印は書置きを頂いたし、訪ねることはしませんでした。
井上内親王の御霊信仰 HP >>
<< 五條 寄足山 生蓮寺 黒部旅行1 上高地と乗鞍 >>

田畑が広がる中に集落が点在して、のんびりした田舎って感じです。
ネット地図を見ていると、あちこちに御霊神社があります。
その大元がここの御霊神社です。
本宮と名が付くくらいだから大きな神社だろうと思って行きました。

確かに立派な神社です。
でも、誰もいないしとても静かです。
奈良の地方にある歴史ある神社に有りがちなんですが、
凄く大きいし立派なんだけど、静かというか、閑散としている感じが否めません。
そうだよね、誰もが知っている神社ではないから
たくさんの人が来る事は期待できないです。

御霊神社縁起。
ちょっと小さくて読めないですね;;
井上内親王の悲しい人生が書かれています。

井上内親王は聖武天皇の皇女で白壁王(光仁天皇)の皇后です。
宝亀3年(772)光仁天皇を呪詛したとされ、
皇太子であった息子の他戸親王と共に皇后、皇太子を廃されました。
さらに宝亀4年(773)薨去した難波内親王(光仁天皇の同母姉)を呪詛し殺害したとされ、
他戸親王と共に庶人に落とされ大和国宇智郡(現在の奈良県五條市)の没官の邸に
幽閉され、宝亀6年(775)4月27日に他戸親王と逝去します。
同じ日に2人死ぬなんて不自然なので、自殺とも暗殺とも言われています。
御霊神社の近くに井上内親王の御陵も他戸親王の墓もあります。
どちらも宮内庁の管理です。

境内社。
井上内親王と他戸親王の死後2カ月経った頃から都に異変が起こります。
光仁天皇擁立の功労者である藤原蔵下麻呂が死没。
瓦石や土塊が毎夜落下、妖怪が出没、大祓を行い僧600人に大般若経を読ませましたが、
光仁天皇擁立の功労者の一人の藤原良嗣が死没。
さらに井戸水が涸れ、井上内親王失脚の首謀者たちは悪夢にうなされます。
桓武天皇の御代になっても都は安定しません。
藤原種継が暗殺され、他戸親王の異母兄である早良親王が捕らえられます。
早良親王は無実を主張し、淡路へ流される途中で死去します。
これにより祟り神がもう一人誕生したわけです。

本殿に井上内親王、南脇社殿に他戸親王、北脇社殿に早良親王が祀られています。
少し離れた所に別宮があり火雷神が祀られています。
延暦19年(800)桓武天皇は葛井王を宇智郡に遣わし皇后の復位し御墓を山陵とします。
この時に葛井王により霊安寺が建立され、同時に御霊神社も創建されたと伝わっています。

霊安寺は明治に廃寺となり、仏像什物などは満願寺に移されました。
満願寺の近くには礎石と思われる石が残っています。
霊安寺は三重塔を擁したかなり大きなお寺だったようです。
ここの地名は霊安寺町です。
満願寺はすぐ近くですが、行ってないです;;

県の重要文化財になっている本殿は修復中で全く見えませんでした。
寛永14年(1637)に造営されています。

御朱印は書置きを頂きました。

境内の稲荷社。
五條市一円に御霊神社はたくさんあります。
23社あるとされますが、現在確認されているのは22社です。
嘉禎4年(1238)2月、河南の豪族である吉原氏と、華北の豪族の牧野氏が言い争ったことで、
御霊神社が十か所に分祀(宮分け)されました。
その後、各村々にどんどん分祀されていったようです。

こちらは多分、社務所。
なんか、BQQのいい匂いとワイワイ楽しそうな声が聞こえてました。
御朱印は書置きを頂いたし、訪ねることはしませんでした。

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