寄足山 生蓮寺
てるてる坊主の生蓮寺 2022-9-17参拝 2023-5-13
良い気候です。
でも地震があったり大雨が降ったり、他の地域では穏やかではないですね。
被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。
本日のコース
寄足山 生蓮寺→御霊神社本宮
- 寄足山 生蓮寺 よらせざん しょうれんじ -
平安時代初期、嵯峨天皇(786~842)が皇后の安産祈願のため
小野篁に命じて地蔵菩薩像を安置したのが起源とされます。
その後、空海が高野山開創時に立ち寄り、一尺八寸の地蔵を彫刻し
本尊胎内に安置したと伝わります。
山号の寄足山は空海が立ち寄ったことから付けられました。
晴れ乞い 雨乞い、子安安産の祈願所であり、現在は蓮の名所です。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
良い気候です。
でも地震があったり大雨が降ったり、他の地域では穏やかではないですね。
被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。
本日のコース
寄足山 生蓮寺→御霊神社本宮
- 寄足山 生蓮寺 よらせざん しょうれんじ -
平安時代初期、嵯峨天皇(786~842)が皇后の安産祈願のため
小野篁に命じて地蔵菩薩像を安置したのが起源とされます。
その後、空海が高野山開創時に立ち寄り、一尺八寸の地蔵を彫刻し
本尊胎内に安置したと伝わります。
山号の寄足山は空海が立ち寄ったことから付けられました。
晴れ乞い 雨乞い、子安安産の祈願所であり、現在は蓮の名所です。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
またまた五條です。最近多いです^^
五條にてるてる坊主の寺があると知って、写真が趣味の実母をに連れてきました。
せっかくなので姉も誘って母娘3人でのお出かけです。
美味しいものを食べて~と思っていたのですが、目星をつけてあったレストランが
コロナで休業中で、適当な所で食べたら最悪でしたーー;
やっぱりリサーチは必要ですね。
美味しくなかったととブツブツ言いながら目的地到着です。

駐車場は広いですが、お寺までの道は凄く狭い所がありました。
もしかしたら、広い道のルートがあるのかもしれません。

わりと広い境内なんですが、拝観できる所は本堂の周りだけです。
客殿の方は入れませんでした。

さっそくてるてる坊主と蓮が見えます。

てるてる坊主は山門にもぶら下がってます。
お寺が可愛く見えますね^^

本堂。
てるてる坊主、いっぱいです。
それを見たくて来たんだけど、いっぱいだ。。。
江戸時代中期の1738年(元文3年)の再建。

てるてる坊主は白いと思っていたら大間違い^^;
なんともカラフルです。

淡い色が多なと思いますが、こんな真っ赤なてるてる坊主も。
もはや猿ぼぼ(飛騨高山の名物)みたいです。

説明板。
平安時代の地蔵菩薩はもうないのかな?

本堂に入ってお参りできます。
御本尊のお地蔵さんはとても大きいです。

さっきの説明板によると室町期の作となっていました。
胎内仏は藤原期の作風と書いてありましたが、これが空海作かどうかって所ですね。
技術が進んだら何か解るようになるのかな?

脇侍は掌善・掌悪二童子です。
どっちがどっちと書いてないんですが、雰囲気的にこっちが掌悪童子かな?

となるとこっちが掌善童子ですね。
説明の看板に竜子って書いてあったけど、童子ですね。

堂内の様子。
煌びやかですね~
平安時代、嵯峨天皇は安産祈願の為、小野篁に命じて生蓮寺を創建しました。
なんでこの地だったのかは、どこにも書いてないので分かりません。
きっと歴史に明るい人は分かるんでしょうね。

襖絵は蓮。鮮やかな色です。

天女の絵も奇麗です。

奉納額は何の絵なのか不明。

これはどこかの街の様子を描いたみたいですね。

地獄絵図の奉納。
何を願ってこれを奉納したのかな?
そう思うと戦いの絵図も何の願いなのかよく分からない気がします。

お堂の中からはてるてる坊主で外は良く見えません^^;

可愛いテルテル坊主発見。力作ですね。

境内の蓮。

もう蓮の時期は終わりですね、あまり咲いていません。

やっと咲いていた蓮一輪。

階段があったので行ってみます。

街を見下ろすお墓でした~

ここの地名は二見と言います。
「見」は「み」で、元は「水」の意味だそうで、吉野川と丹生川が合流する地点という事で
二つの水が合う場所なので二見となったらしいです。

ここにも蓮の庭。
生命科学博士でもある住職が栽培しています。
ハス茶を作ったり、蓮の育て方の講習もしているそうです。

少しだけ咲いていました。
蓮の時期に来たらキレイなんでしょうね。

お寺の向かいでも蓮の畑がありました。

御朱印。
書置きを頂きました。
せっかく五條まで来たので、他にも行きたいです。
ですが、最近五條によく来るので有名処は行ったかな?
歴史のある場所なんだからと、探して御霊神社本宮に行ってみることに。
<< 高野山7 波宝神社 五條 御霊神社本宮 >>

五條にてるてる坊主の寺があると知って、写真が趣味の実母をに連れてきました。
せっかくなので姉も誘って母娘3人でのお出かけです。
美味しいものを食べて~と思っていたのですが、目星をつけてあったレストランが
コロナで休業中で、適当な所で食べたら最悪でしたーー;
やっぱりリサーチは必要ですね。
美味しくなかったととブツブツ言いながら目的地到着です。

駐車場は広いですが、お寺までの道は凄く狭い所がありました。
もしかしたら、広い道のルートがあるのかもしれません。

わりと広い境内なんですが、拝観できる所は本堂の周りだけです。
客殿の方は入れませんでした。

さっそくてるてる坊主と蓮が見えます。

てるてる坊主は山門にもぶら下がってます。
お寺が可愛く見えますね^^

本堂。
てるてる坊主、いっぱいです。
それを見たくて来たんだけど、いっぱいだ。。。
江戸時代中期の1738年(元文3年)の再建。

てるてる坊主は白いと思っていたら大間違い^^;
なんともカラフルです。

淡い色が多なと思いますが、こんな真っ赤なてるてる坊主も。
もはや猿ぼぼ(飛騨高山の名物)みたいです。

説明板。
平安時代の地蔵菩薩はもうないのかな?

本堂に入ってお参りできます。
御本尊のお地蔵さんはとても大きいです。

さっきの説明板によると室町期の作となっていました。
胎内仏は藤原期の作風と書いてありましたが、これが空海作かどうかって所ですね。
技術が進んだら何か解るようになるのかな?

脇侍は掌善・掌悪二童子です。
どっちがどっちと書いてないんですが、雰囲気的にこっちが掌悪童子かな?

となるとこっちが掌善童子ですね。
説明の看板に竜子って書いてあったけど、童子ですね。

堂内の様子。
煌びやかですね~
平安時代、嵯峨天皇は安産祈願の為、小野篁に命じて生蓮寺を創建しました。
なんでこの地だったのかは、どこにも書いてないので分かりません。
きっと歴史に明るい人は分かるんでしょうね。

襖絵は蓮。鮮やかな色です。

天女の絵も奇麗です。

奉納額は何の絵なのか不明。

これはどこかの街の様子を描いたみたいですね。

地獄絵図の奉納。
何を願ってこれを奉納したのかな?
そう思うと戦いの絵図も何の願いなのかよく分からない気がします。

お堂の中からはてるてる坊主で外は良く見えません^^;

可愛いテルテル坊主発見。力作ですね。

境内の蓮。

もう蓮の時期は終わりですね、あまり咲いていません。

やっと咲いていた蓮一輪。

階段があったので行ってみます。

街を見下ろすお墓でした~

ここの地名は二見と言います。
「見」は「み」で、元は「水」の意味だそうで、吉野川と丹生川が合流する地点という事で
二つの水が合う場所なので二見となったらしいです。

ここにも蓮の庭。
生命科学博士でもある住職が栽培しています。
ハス茶を作ったり、蓮の育て方の講習もしているそうです。

少しだけ咲いていました。
蓮の時期に来たらキレイなんでしょうね。

お寺の向かいでも蓮の畑がありました。

御朱印。
書置きを頂きました。
せっかく五條まで来たので、他にも行きたいです。
ですが、最近五條によく来るので有名処は行ったかな?
歴史のある場所なんだからと、探して御霊神社本宮に行ってみることに。
<< 高野山7 波宝神社 五條 御霊神社本宮 >>
![]() にほんブログ村 | ![]() にほんブログ村 | ![]() ブログランキング | ![]() ブログランキング | ![]() ブログランキング |
スポンサーサイト