幽玄の高野山へ 7
日蝕伝説の残る波宝神社 2022-7-23参拝 2023-5-4
ご~~~るでんうぃ~~~く
どこにも行く予定は立てませんでした。どこもかしこも凄く混んでいいそうだし。
ドラマ・映画三昧、ときどきブログです^^v
今回のコース
高野山 奥の院→女人堂→立里荒神社→野川弁財天→波宝神社
- 波宝神社 はほうじんじゃ -
延喜式内社、創建は不明。
吉野三山(栃原岳、銀峯山、櫃ヶ岳)の一つ「銀峯山」または「白銀岳」の
山頂標高612mに鎮座します。
神功皇后が三韓征伐からの帰りにこの山で休んでいた時に
辺りが暗くなり神功皇后が祈ると明るくなったと言う伝承があります。
なので地名を「夜中」と言います。
役行者が訪れた時、女神が現れ「群集を伝導せよ」と告げられました。
修験道の霊場となり、明治まで境内にあった寺院「銀峯山神宮寺」は
修験道の拠点として大いに栄えていました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ご~~~るでんうぃ~~~く
どこにも行く予定は立てませんでした。どこもかしこも凄く混んでいいそうだし。
ドラマ・映画三昧、ときどきブログです^^v
今回のコース
高野山 奥の院→女人堂→立里荒神社→野川弁財天→波宝神社
- 波宝神社 はほうじんじゃ -
延喜式内社、創建は不明。
吉野三山(栃原岳、銀峯山、櫃ヶ岳)の一つ「銀峯山」または「白銀岳」の
山頂標高612mに鎮座します。
神功皇后が三韓征伐からの帰りにこの山で休んでいた時に
辺りが暗くなり神功皇后が祈ると明るくなったと言う伝承があります。
なので地名を「夜中」と言います。
役行者が訪れた時、女神が現れ「群集を伝導せよ」と告げられました。
修験道の霊場となり、明治まで境内にあった寺院「銀峯山神宮寺」は
修験道の拠点として大いに栄えていました。
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もう高野山からはずいぶん離れました。
帰り道でどこか参拝するところがあればと探しました。
紀伊半島は古く歴史のある場所なので、
ネット地図を見ているとたくさんの社寺、名所、旧跡が出てきますが、
残念ながら小さな祠だけだったり、石碑一つだったり、
本当に「跡」だけだったりなんですが、やっと見つけた波宝神社。
こんな山の中に波の宝って何だろう?
しかも地名はイワク有り気な「夜中」なんて興味をそそるでしょ?
なので行ってきました。
野迫川村から紀伊山地を北上して五條市まで来ました。
民家が増えて来た~と思うとまた山の中を繰り返し、
最後に林道のような道で山を登って波宝神社の鳥居に辿り着きました。

鳥居から奥はまだまだ山道です。
しかも鬱蒼としている。。。

鳥居前からの景色。
だいぶ向こうに街が見えます。
周りは山ばかりじゃなくて果樹園がたくさんあります。
人間の生息地になってきましたね。

鳥居の扁額は多分「神蔵大明神」と書かれているのだと思います。
これは役行者が出会った女神がお告げの後、石室に入ったと言う
伝承から「神蔵大明神」と呼ばれたそうです。

結構登坂です。
車でも行っても良かったかも?こんなに長いと思わなかったし。
などと、思いながらぜーぜー言いつつ登りました。
大変だったように思いましたが10分弱の登りでした^^;

やっぱり車で来ることが出来ましたーー;
静かな境内は誰一人いません。したがって御朱印はありません。
ちゃんと掃除が行き届いているので、ほぼ毎日くらい誰かが来ていると思われます。

まあまあ広い境内です。

まずはお参りです。

本殿は江戸時代前期の寛文12年(1672年)の再建。
御祭神は、右殿が底筒男命・中筒男命・上筒男命の住吉大明神、左殿が神功皇后。

ここの地名は「夜中」。
神功皇后が三韓征伐からの帰りにこの地で休んでいると
にわかに暗闇になり皇后が神に祈ると明るくなったと言う伝説から
この地は「夜中」と言います。
日蝕を思わせる伝説です。
二棟の本殿を連結する板壁に大きな日輪に月輪が重なる日蝕の様子が描かれています。
月の色が薄くなってしまっていて、この写真では分からないですね。
拡大してやっと分かるくらいです。

日本書紀の神功皇后の段に「阿豆那比の罪」と言う話があるのですが、
その中で昼が暗くなるという話があり、それが小竹宮で起こったことから、
この地が小竹宮ではないかとも言われます。(小竹宮の候補は他にも有り)
「阿豆那比の罪」は興味があったら調べてみて下さい。
大した罪でもないと私は思いますけど。

左の社には神功皇后が祀られます。

右には底筒男命・中筒男命・上筒男命の住吉の神々。
山の上なのに「波」なのはこの神々から来てるようですね。
本殿にも波の壁画がたくさん描かれています。

現在は神功皇后と住吉三神を祀る神社ですが、
住吉信仰の痕跡は無いそうです。
元々の神はいったいどんな神様だったのか?
色々と考察されているようです。

説明。

こっちも説明。

境内社。

こちらは拝殿と絵馬殿にもなっているようです。

扇子を丸くして紙垂を付けたのは何て言うんだろう?
例祭とかで使うのかな?

戦いの図のようです。左はよく分かりません。
残念ながら、だいぶ薄くなってしまってます。

扁額。

山深い紀伊半島には山岳信仰が強かった地域です。
波宝神社は吉野三山の銀峯山(白銀山)にあります。
他は栃原岳で金峰山、黄金岳、金岳とも呼び 山頂に波比売(はひめ)神社があります。
もう一つは櫃ヶ岳で銅岳とも呼び、 山頂に櫃ヶ岳八幡神社があります。

山岳信仰と言えば役行者が浮かぶのですが、ここにも役行者伝説があります。
役行者がこの山で秘法を行うと女神が現れ、国家を鎮護し、群衆を化導すべしと告げて
石室に入ったと伝わります。
以来、この地は行場となり、大峯山参詣の先達は毎年入峯し、修法をなすのが旧例。
大峯修験と深い関わりを持ちました。
境内には、明治初年まで銀峯山神宮寺があり、この建物は旧本堂です。

御霊社、忠魂社。
役行者が出会った女神はだれ?
この女神こそが元々のこの山の神ではないかと言われています。
そしてその女神は丹生都比売神では?と考えられています。
付近には黄鉄鋼や銅の鉱脈があり、当社のすぐ下にも採掘跡があすそうです。
そんなことから「丹生」を連想させるようです。

鎮魂碑と波宝地蔵大権現。
女神は誰かって、丹生都比売神を連れてきた感じですけど。
神功皇后が祈った神も丹生都比売かもしれないですね。
役行者さん、誰か特定して伝説を残してくれたら良かったのにね。
いやいや、それでもみんなあーでも無い、こーでも無いって考えるんでしょうね。

下りは早いです。
しかし、虫が!虫が襲ってくる!

なので、滑りそうになりながら急いで下りました^^;

ピントが金網に合ってしまった残念な写真。
でも、景色はとても良かったです。
山ばっかりじゃなくて人間界が見えると、なんだかホッとします。
あんまり山深いと山に閉じ込められてしまうような気がします。
ちょっと違うけど自然を正しく恐れるという事は大事な事です。
これで本日の参拝はすべて完了!帰途の付きます。
~幽玄の高野山 終わり~
次の記事は9月まで飛びまして、またまた奈良県五條市の
てるてる坊主がたくさん奉納される晴れ祈願のお寺に行きました。
<< 高野山6 野迫川弁財天

帰り道でどこか参拝するところがあればと探しました。
紀伊半島は古く歴史のある場所なので、
ネット地図を見ているとたくさんの社寺、名所、旧跡が出てきますが、
残念ながら小さな祠だけだったり、石碑一つだったり、
本当に「跡」だけだったりなんですが、やっと見つけた波宝神社。
こんな山の中に波の宝って何だろう?
しかも地名はイワク有り気な「夜中」なんて興味をそそるでしょ?
なので行ってきました。
野迫川村から紀伊山地を北上して五條市まで来ました。
民家が増えて来た~と思うとまた山の中を繰り返し、
最後に林道のような道で山を登って波宝神社の鳥居に辿り着きました。

鳥居から奥はまだまだ山道です。
しかも鬱蒼としている。。。

鳥居前からの景色。
だいぶ向こうに街が見えます。
周りは山ばかりじゃなくて果樹園がたくさんあります。
人間の生息地になってきましたね。

鳥居の扁額は多分「神蔵大明神」と書かれているのだと思います。
これは役行者が出会った女神がお告げの後、石室に入ったと言う
伝承から「神蔵大明神」と呼ばれたそうです。

結構登坂です。
車でも行っても良かったかも?こんなに長いと思わなかったし。
などと、思いながらぜーぜー言いつつ登りました。
大変だったように思いましたが10分弱の登りでした^^;

やっぱり車で来ることが出来ましたーー;
静かな境内は誰一人いません。したがって御朱印はありません。
ちゃんと掃除が行き届いているので、ほぼ毎日くらい誰かが来ていると思われます。

まあまあ広い境内です。

まずはお参りです。

本殿は江戸時代前期の寛文12年(1672年)の再建。
御祭神は、右殿が底筒男命・中筒男命・上筒男命の住吉大明神、左殿が神功皇后。

ここの地名は「夜中」。
神功皇后が三韓征伐からの帰りにこの地で休んでいると
にわかに暗闇になり皇后が神に祈ると明るくなったと言う伝説から
この地は「夜中」と言います。
日蝕を思わせる伝説です。
二棟の本殿を連結する板壁に大きな日輪に月輪が重なる日蝕の様子が描かれています。
月の色が薄くなってしまっていて、この写真では分からないですね。
拡大してやっと分かるくらいです。

日本書紀の神功皇后の段に「阿豆那比の罪」と言う話があるのですが、
その中で昼が暗くなるという話があり、それが小竹宮で起こったことから、
この地が小竹宮ではないかとも言われます。(小竹宮の候補は他にも有り)
「阿豆那比の罪」は興味があったら調べてみて下さい。
大した罪でもないと私は思いますけど。

左の社には神功皇后が祀られます。

右には底筒男命・中筒男命・上筒男命の住吉の神々。
山の上なのに「波」なのはこの神々から来てるようですね。
本殿にも波の壁画がたくさん描かれています。

現在は神功皇后と住吉三神を祀る神社ですが、
住吉信仰の痕跡は無いそうです。
元々の神はいったいどんな神様だったのか?
色々と考察されているようです。

説明。

こっちも説明。

境内社。

こちらは拝殿と絵馬殿にもなっているようです。

扇子を丸くして紙垂を付けたのは何て言うんだろう?
例祭とかで使うのかな?

戦いの図のようです。左はよく分かりません。
残念ながら、だいぶ薄くなってしまってます。

扁額。

山深い紀伊半島には山岳信仰が強かった地域です。
波宝神社は吉野三山の銀峯山(白銀山)にあります。
他は栃原岳で金峰山、黄金岳、金岳とも呼び 山頂に波比売(はひめ)神社があります。
もう一つは櫃ヶ岳で銅岳とも呼び、 山頂に櫃ヶ岳八幡神社があります。

山岳信仰と言えば役行者が浮かぶのですが、ここにも役行者伝説があります。
役行者がこの山で秘法を行うと女神が現れ、国家を鎮護し、群衆を化導すべしと告げて
石室に入ったと伝わります。
以来、この地は行場となり、大峯山参詣の先達は毎年入峯し、修法をなすのが旧例。
大峯修験と深い関わりを持ちました。
境内には、明治初年まで銀峯山神宮寺があり、この建物は旧本堂です。

御霊社、忠魂社。
役行者が出会った女神はだれ?
この女神こそが元々のこの山の神ではないかと言われています。
そしてその女神は丹生都比売神では?と考えられています。
付近には黄鉄鋼や銅の鉱脈があり、当社のすぐ下にも採掘跡があすそうです。
そんなことから「丹生」を連想させるようです。

鎮魂碑と波宝地蔵大権現。
女神は誰かって、丹生都比売神を連れてきた感じですけど。
神功皇后が祈った神も丹生都比売かもしれないですね。
役行者さん、誰か特定して伝説を残してくれたら良かったのにね。
いやいや、それでもみんなあーでも無い、こーでも無いって考えるんでしょうね。

下りは早いです。
しかし、虫が!虫が襲ってくる!

なので、滑りそうになりながら急いで下りました^^;

ピントが金網に合ってしまった残念な写真。
でも、景色はとても良かったです。
山ばっかりじゃなくて人間界が見えると、なんだかホッとします。
あんまり山深いと山に閉じ込められてしまうような気がします。
ちょっと違うけど自然を正しく恐れるという事は大事な事です。
これで本日の参拝はすべて完了!帰途の付きます。
~幽玄の高野山 終わり~
次の記事は9月まで飛びまして、またまた奈良県五條市の
てるてる坊主がたくさん奉納される晴れ祈願のお寺に行きました。
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