幽玄の高野山へ 2
高野山 奥の院 弐 2022-7-23参拝 2023-4-5
桜も散りました。
でも、あちこちで色んな花が咲いて春爛漫って感じです。
友達と近場で春を求めて出かけています。
今回のコース
高野山 奥の院→女人堂→立里荒神社→野川弁財天→波宝神社
- 高野山 奥の院 こうやさん おくのいん -
奥の院のエリアは24時間いつでも入れます。
閉まっている施設もありますが、参拝は可能みたいです。
夜の燈篭の灯った参道を歩くのも素敵です。
お坊さんと行く奥の院ナイトツアーなんかもあるそうです。
高野山 HP >>
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桜も散りました。
でも、あちこちで色んな花が咲いて春爛漫って感じです。
友達と近場で春を求めて出かけています。
今回のコース
高野山 奥の院→女人堂→立里荒神社→野川弁財天→波宝神社
- 高野山 奥の院 こうやさん おくのいん -
奥の院のエリアは24時間いつでも入れます。
閉まっている施設もありますが、参拝は可能みたいです。
夜の燈篭の灯った参道を歩くのも素敵です。
お坊さんと行く奥の院ナイトツアーなんかもあるそうです。

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奥の院は中の橋から1km、一の橋からは2kmあります。
結構な距離ですよね。
のんびり散歩のつもりで歩けばいいですけど、高野山には行かなければ
ならない所が満載で奥の院だけに時間をかけられません。
そこで今回、奥の院だけをゆっくり時間をかけて見るぞ!と思って来たわけです。
中の橋から御廟までに約1時間かけました。

御廟橋を渡ります。
ここから先は撮影不可ですので、幻想的な燈籠堂も御廟も写真はありません。
弘法大師空海が今も静かに祈りをささげていると言われる聖地です。

これが精いっぱいのズームです。
静かにお参りしたかったんですが、見ての通り
結構な参拝者がいらっしゃいます。
野球少年グループのワイワイとおば様グループの雑談が
森に響いておりました。。。ちょっと残念です;;

川の中に立てられた卒塔婆?初めて見ました。
御廟橋の奥の聖地には奥の院のお堂と御廟と燈籠堂と経蔵もあります。
燈籠堂だけはネットで写真が載っていることがあります。
1万基以上の燈篭があり、灯りをともしてあります。
1000年近く燃え続けているといわれる二つの灯があります。
長和5年(1016年)に祈親上人の「祈親灯」。
髪の毛を売って献灯したお照の「貧女の一灯」。
寛治2年(1088年)に白河上皇が献じた「白河灯」と言うのもあります。
よく探したら分かったのかもしれませんが、人も多くてじっくりと見れませんでした。

御供所まで戻ってきました。
ここから一の橋の表参道を約1.6km歩きます。
たくさんの有名武将の供養塔があるはずです。

脇坂家墓所。

平成7年に脇坂家の15代当主が修復したと記されています。

御廟橋と奥に見えるのは奥の院です。

奥の建物は御供所です。

摂津国尼崎 青山幸成墓 誰?と思って調べました。
安土桃山時代から江戸時代にかけての武将で、
摂津国尼崎藩初代藩主。幸成系青山家初代。

苔むした立派な五輪塔が立ち並んでいますが、誰のものか分からず。
「浪速」とか「泉藩」と言う文字がうっすら見えます。

豊臣家の墓所。

説明。

多分、階段の上の供養塔が中室院墓所かな?

備前島原 松平家墓所。

これは誰の供養塔か分かりません。

越前松平家初代藩主の松平秀康の墓。
登壇禁止と書かれていました。

墓所の説明。

こちらは秀康の母君、蓮華院墓所。

安芸 浅野家の墓所。

こちらは立札が見えにくいですが、「加賀 前田」 の文字が見えます。

伊予松山 松平 久松家
「松」ばっかりの墓所^^

墓所はずっと奥まであります。
古いものから新しいものまで様々です。

備後福山 水野家。

長州 毛利家。

成福院 摩尼宝塔。

安芸 浅野家。
さっきもあったよね?いっぱいあるの?分家とか?

豊後 岡 中川家。
ちょっと荒れていますね、、、

こっちも豊後 岡 中川家。
写真の順番から、多分隣くらいに会ったんだと思うけど。

高麗戦争の戦没者供養塔。

説明。

密厳堂。
根来寺を創建した覚鑁上人を祀ります。

説明。
この辺りを覚鑁坂と言いますが、供養塔ばかりを撮っていて景色を撮り忘れました。
密厳堂から一の橋まで後、1kmほどです。
まだまだ有名武将の墓所が続きまして写真が満載ですので、
奥の院 参 へ参りたいと思います。
<< 高野山1 奥の院 壱 高野山3 奥の院 参 >>

結構な距離ですよね。
のんびり散歩のつもりで歩けばいいですけど、高野山には行かなければ
ならない所が満載で奥の院だけに時間をかけられません。
そこで今回、奥の院だけをゆっくり時間をかけて見るぞ!と思って来たわけです。
中の橋から御廟までに約1時間かけました。

御廟橋を渡ります。
ここから先は撮影不可ですので、幻想的な燈籠堂も御廟も写真はありません。
弘法大師空海が今も静かに祈りをささげていると言われる聖地です。

これが精いっぱいのズームです。
静かにお参りしたかったんですが、見ての通り
結構な参拝者がいらっしゃいます。
野球少年グループのワイワイとおば様グループの雑談が
森に響いておりました。。。ちょっと残念です;;

川の中に立てられた卒塔婆?初めて見ました。
御廟橋の奥の聖地には奥の院のお堂と御廟と燈籠堂と経蔵もあります。
燈籠堂だけはネットで写真が載っていることがあります。
1万基以上の燈篭があり、灯りをともしてあります。
1000年近く燃え続けているといわれる二つの灯があります。
長和5年(1016年)に祈親上人の「祈親灯」。
髪の毛を売って献灯したお照の「貧女の一灯」。
寛治2年(1088年)に白河上皇が献じた「白河灯」と言うのもあります。
よく探したら分かったのかもしれませんが、人も多くてじっくりと見れませんでした。

御供所まで戻ってきました。
ここから一の橋の表参道を約1.6km歩きます。
たくさんの有名武将の供養塔があるはずです。

脇坂家墓所。

平成7年に脇坂家の15代当主が修復したと記されています。

御廟橋と奥に見えるのは奥の院です。

奥の建物は御供所です。

摂津国尼崎 青山幸成墓 誰?と思って調べました。
安土桃山時代から江戸時代にかけての武将で、
摂津国尼崎藩初代藩主。幸成系青山家初代。

苔むした立派な五輪塔が立ち並んでいますが、誰のものか分からず。
「浪速」とか「泉藩」と言う文字がうっすら見えます。

豊臣家の墓所。

説明。

多分、階段の上の供養塔が中室院墓所かな?

備前島原 松平家墓所。

これは誰の供養塔か分かりません。

越前松平家初代藩主の松平秀康の墓。
登壇禁止と書かれていました。

墓所の説明。

こちらは秀康の母君、蓮華院墓所。

安芸 浅野家の墓所。

こちらは立札が見えにくいですが、「加賀 前田」 の文字が見えます。

伊予松山 松平 久松家
「松」ばっかりの墓所^^

墓所はずっと奥まであります。
古いものから新しいものまで様々です。

備後福山 水野家。

長州 毛利家。

成福院 摩尼宝塔。

安芸 浅野家。
さっきもあったよね?いっぱいあるの?分家とか?

豊後 岡 中川家。
ちょっと荒れていますね、、、

こっちも豊後 岡 中川家。
写真の順番から、多分隣くらいに会ったんだと思うけど。

高麗戦争の戦没者供養塔。

説明。

密厳堂。
根来寺を創建した覚鑁上人を祀ります。

説明。
この辺りを覚鑁坂と言いますが、供養塔ばかりを撮っていて景色を撮り忘れました。
密厳堂から一の橋まで後、1kmほどです。
まだまだ有名武将の墓所が続きまして写真が満載ですので、
奥の院 参 へ参りたいと思います。
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