大阪母子旅 13
東營山 源聖寺 2022-6-5参拝 2023-3-4
1日目のコース
新世界・通天閣→大阪城
2日目のコース
真田丸跡(三光神社→心眼寺→興徳寺)→劇団四季オペラ座の怪人→露天神社
3日目のコース
大阪天満宮→堀川戎神社→成正寺→藤次寺→生國魂神社→齢延寺→源聖寺→高津宮
- 東營山 源聖寺 げんしょうじ -
慶長元年(1596)12月、遠誉荷公上人が創建。
徳川家康が大坂の町並みを整えた際、散在していた寺院を一か所に集めました。
その時に源聖寺も摂州西成郡大坂西寺町に移りました。
江戸時代初期に建てられた本堂は、昭和48年に不審火により焼失。
現在の本堂は、平成2年に再建されたものです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
1日目のコース
新世界・通天閣→大阪城
2日目のコース
真田丸跡(三光神社→心眼寺→興徳寺)→劇団四季オペラ座の怪人→露天神社
3日目のコース
大阪天満宮→堀川戎神社→成正寺→藤次寺→生國魂神社→齢延寺→源聖寺→高津宮
- 東營山 源聖寺 げんしょうじ -
慶長元年(1596)12月、遠誉荷公上人が創建。
徳川家康が大坂の町並みを整えた際、散在していた寺院を一か所に集めました。
その時に源聖寺も摂州西成郡大坂西寺町に移りました。
江戸時代初期に建てられた本堂は、昭和48年に不審火により焼失。
現在の本堂は、平成2年に再建されたものです。
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齢延寺から源聖寺坂を通って源聖寺へ行きます。

左右ともお寺の塀が続きます。
多分、黄色い塀が齢延寺で白い壁が銀山寺かな?
銀山寺は門が閉まっていて入れませんでした。

源聖寺坂は天王寺七坂の一つです。
かつて石段を上りきった場所に昭和末期まで「源九郎稲荷」があったそうです。
コンニャク好きの狸が祀られ、「こんにゃくの八兵衛」という祠があったことが記されています。
源九郎稲荷って生國魂神社にあったな~と思ったら、無関係らしいです。
どこへ行ってしまったのか分からないコンニャク好きの狸さん。

お寺しかないのかと思いきや、民家もあります。
しかも階段の途中に。

景色は良さそうだけど、車はどうするんだろう?
都会の住民は車が必須ではないだろうけどさ。
余計なお世話って言われそう^^;

左が源聖寺、右が金胎寺。
金胎寺にも行きたかったんですが、時間が無く断念しました。
どうせ周辺にお寺が40ヶ寺以上あるんだもの。
また来るしか無いよね~

どこのお寺に行くか、あまり決めずに来ました。
源聖寺は坂に名前が付いているくらいだから、
この辺りで有名なお寺だったに違いない!と勝手に思いやって来ました。

幸いなことにWelcomなお寺のようです^^

慶長元年(1596)12月に遠誉荷公上人というお坊さんが創建。
この方は奥州衣川(岩手県)からこの地に来てお寺を造りました。
東国より来て行業〈仏道の修行〉を西海の岸に営んだ故に、
その寺名を東営山西岸寺(とうえいざんさいがんじ)と名付けられました。

ご本尊は阿弥陀如来さんです。
安阿弥(快慶)が彫刻した二尺五寸の阿弥陀如来像を祀っています。
遠誉上人は本尊が大坂の陣の戦乱で失われてしまうことを案じて、
寺地の前の浜辺から海に流しました。
徳川の治世になった時、浜辺で光明を放ち、ご本尊像が見つかりました。
上人は像を拾い上げ、民家を譲り受けて寺観を整えて、そこでお祀りされました。
この時、寺名を「東営山西岸院源聖寺」と改めました。

徳川家康が大坂の町並みを整え、各所に散在していた寺院を一か所に集め、
摂州西成郡大坂西寺町に当寺も移りました。
こうしてお寺だらけの町が出来上がったわけですね~

御神木っぽかったので、撮って見ました。
遠誉上人は、源頼朝から父が賜った羽釜を譲り受けており、
薬湯が出たといわれる由緒ある釜だったそうですが、現存しません。

おや?このお方はどこかでお見掛けしましたぞ。。。

そうだ!法隆寺の夢殿の救世観音菩薩です。

お地蔵さんの向こうに見えるのは「あべのハルカス」じゃないかな?

お寺の向こうはビルが立ち並んでます。

御朱印。
源聖寺 HP >>
次でこの旅の最後の高津宮に行きます。
<< 大阪母娘旅12 齢延寺 大阪母娘旅14 高津宮 >>


左右ともお寺の塀が続きます。
多分、黄色い塀が齢延寺で白い壁が銀山寺かな?
銀山寺は門が閉まっていて入れませんでした。

源聖寺坂は天王寺七坂の一つです。
かつて石段を上りきった場所に昭和末期まで「源九郎稲荷」があったそうです。
コンニャク好きの狸が祀られ、「こんにゃくの八兵衛」という祠があったことが記されています。
源九郎稲荷って生國魂神社にあったな~と思ったら、無関係らしいです。
どこへ行ってしまったのか分からないコンニャク好きの狸さん。

お寺しかないのかと思いきや、民家もあります。
しかも階段の途中に。

景色は良さそうだけど、車はどうするんだろう?
都会の住民は車が必須ではないだろうけどさ。
余計なお世話って言われそう^^;

左が源聖寺、右が金胎寺。
金胎寺にも行きたかったんですが、時間が無く断念しました。
どうせ周辺にお寺が40ヶ寺以上あるんだもの。
また来るしか無いよね~

どこのお寺に行くか、あまり決めずに来ました。
源聖寺は坂に名前が付いているくらいだから、
この辺りで有名なお寺だったに違いない!と勝手に思いやって来ました。

幸いなことにWelcomなお寺のようです^^

慶長元年(1596)12月に遠誉荷公上人というお坊さんが創建。
この方は奥州衣川(岩手県)からこの地に来てお寺を造りました。
東国より来て行業〈仏道の修行〉を西海の岸に営んだ故に、
その寺名を東営山西岸寺(とうえいざんさいがんじ)と名付けられました。

ご本尊は阿弥陀如来さんです。
安阿弥(快慶)が彫刻した二尺五寸の阿弥陀如来像を祀っています。
遠誉上人は本尊が大坂の陣の戦乱で失われてしまうことを案じて、
寺地の前の浜辺から海に流しました。
徳川の治世になった時、浜辺で光明を放ち、ご本尊像が見つかりました。
上人は像を拾い上げ、民家を譲り受けて寺観を整えて、そこでお祀りされました。
この時、寺名を「東営山西岸院源聖寺」と改めました。

徳川家康が大坂の町並みを整え、各所に散在していた寺院を一か所に集め、
摂州西成郡大坂西寺町に当寺も移りました。
こうしてお寺だらけの町が出来上がったわけですね~

御神木っぽかったので、撮って見ました。
遠誉上人は、源頼朝から父が賜った羽釜を譲り受けており、
薬湯が出たといわれる由緒ある釜だったそうですが、現存しません。

おや?このお方はどこかでお見掛けしましたぞ。。。

そうだ!法隆寺の夢殿の救世観音菩薩です。

お地蔵さんの向こうに見えるのは「あべのハルカス」じゃないかな?

お寺の向こうはビルが立ち並んでます。

御朱印。

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