大阪母子旅 11
神武天皇創建の生國魂神社 2022-6-5参拝 2023-2-19
近頃の天気は春みたいに暖かいと思ったら雪がちらつくくらい寒くなったり。
変化が激しいです。
年を取ってくると気温の変化で体調を崩してしまいます;;
そのうち、人間は激しい気温の変化にも順応できていくのでしょうか?
1日目のコース
新世界・通天閣→大阪城
2日目のコース
真田丸跡(三光神社→心眼寺→興徳寺)→劇団四季オペラ座の怪人→露天神社
3日目のコース
大阪天満宮→堀川戎神社→成正寺→藤次寺→生國魂神社→齢延寺→源聖寺→高津宮
- 生國魂神社 いくくにたまじんじゃ -
延喜式内社の官幣大社。別名は難波大社(なにわのおおやしろ)です。
創建は神武天皇の東征の時、天皇が摂津国難波碕(現在の難波宮跡、大坂城付近)に
生島神・足島神を鎮祭したのが始まりと伝わります。
平安時代の天皇即位の際に行こなわれた八十島祭は生國魂神社で斎行されました。
かつては現在の大阪城の辺りに鎮座しましたが、隣接して石山本願寺があり、
織田信長と本願寺の石山合戦で焼失し、豊臣秀吉が大阪城築城の際に
現在地に遷座されました。
度々の火災や戦災で焼失しましたが、都度再興され現在に至ります。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
近頃の天気は春みたいに暖かいと思ったら雪がちらつくくらい寒くなったり。
変化が激しいです。
年を取ってくると気温の変化で体調を崩してしまいます;;
そのうち、人間は激しい気温の変化にも順応できていくのでしょうか?
1日目のコース
新世界・通天閣→大阪城
2日目のコース
真田丸跡(三光神社→心眼寺→興徳寺)→劇団四季オペラ座の怪人→露天神社
3日目のコース
大阪天満宮→堀川戎神社→成正寺→藤次寺→生國魂神社→齢延寺→源聖寺→高津宮
- 生國魂神社 いくくにたまじんじゃ -
延喜式内社の官幣大社。別名は難波大社(なにわのおおやしろ)です。
創建は神武天皇の東征の時、天皇が摂津国難波碕(現在の難波宮跡、大坂城付近)に
生島神・足島神を鎮祭したのが始まりと伝わります。
平安時代の天皇即位の際に行こなわれた八十島祭は生國魂神社で斎行されました。
かつては現在の大阪城の辺りに鎮座しましたが、隣接して石山本願寺があり、
織田信長と本願寺の石山合戦で焼失し、豊臣秀吉が大阪城築城の際に
現在地に遷座されました。
度々の火災や戦災で焼失しましたが、都度再興され現在に至ります。
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藤次寺からテクテク歩いて生國魂神社へやってきました。
やっぱり大都会の真ん中にあるのですが、神社が近づいてくると緑が増えてきます。

ここから参道が始まります。
車がたくさん停まってますが、駐車場ではないようです。
自動車お祓いの看板が見えますが、お祓いの車でもなさそうです。
神社の参拝用無料駐車場が無いみたいなので、ここに停めるのかも?

じゃーんって感じの入口。
背景にビルが立ち並んでないのが良いですね。
都会の真ん中なのを忘れます。
生國魂神社は大阪最古の神社で大阪の総鎮守とされます。

本殿は戦災で焼失したため昭和31年の再建です。
コンクリート造りではありますが、生國魂造りと言う伝統的な様式で再建されました。
創建は神武東征の時に摂津国難波碕に生島神・足島神を祀ったのが始まり。
悠久の歴史を持った神社です。

主祭神はもちろん生島神・足島神。
この神様は何の神様かと言いますと、日本の国土の神様です。
なので平安から鎌倉にかけて天皇が即位すると、
ここへ来て(当時は大阪城の場所にありました)
即位儀礼の一つである八十島祭を執り行いました。
「八十島」とは日本の国土(大八洲)を指すとされます。
生島神・足島神は古事記や日本書紀の神話に出て来ない謎の神です。
平安京の宮中で「生島巫(いくしまのみかんなぎ)」という
専門の巫女が祀る重要な神々でしたが、今は八十島祭も断絶してしまいました。

シンプルな御朱印。

こちらは寅年の御朱印。

生國魂神社の境内にはたくさんの境内社があります。
緑に覆われた都会のオアシスです。

注連縄柱。
この写真は境内社側から本殿方向に撮りました。
柱にはなんて書いてあるんでしょう?

天満宮。

住吉神社。

皇大神宮。

公園みたいですね。
この奥に、まだまだたくさんのお宮があります。

精鎮社。
鳥居の前にプラスチックの板がありますが、これ、池なんです。

由来が書いてあります。
蓮池は神社前の公園の位置ににかつてあった池です。

小さな瀧も作ってありました。

木々の間から なんとも興味をそそる「崖縁占」の文字が見えます。

稲荷神社、源九郎稲荷神社、鴫野神社が並んでいます。

崖縁占は鴫野神社(しぎのじんじゃ)の脇にありました。

心の文字に錠前が掛かった提灯が印象的です。
「心の中は誰にも見せない」と言う意味があります。

由緒書きです。
淀殿ゆかりの神社で大阪城の近くにありましたが、
用地買収により生國魂神社境内に遷座しました。

祭神は市寸島比売神、大宮売神、淀姫神。
女性の神様で、やはり女性の願いを叶えてくれる神社です。
縁切り、縁結びにご利益があります。
そんな悩める女性の為に崖縁占があるんですね~

まだまだ境内社があります。

境内社の案内。

この4つの神社のお社が並んでいます。
看板にはそれぞれの神社の祭神やご利益が書いてあります。

境内社とは思えない立派なお社が並んでいます。

これらの神社は後からここに遷座されたのだと思いますが、
それがいつの時代かはどこにも書いてありませんでした。

生國魂神社は、かつて大坂城の場所にありました。
神武東征の時は海に突き出した小高い岬でした。
その後、大坂御坊(大坂本願寺)が隣にやってきます。
大阪御坊の鎮守的な役割だったそうで、仲良くやっていたみたいですが、
仲良くできなかったのが織田信長。
織田信長と大坂本願寺の石山合戦で焼失します。
生國魂神社の神職さんたちは大迷惑だと思った事でしょう。

生玉の杜。
豊臣秀吉の大坂城築城の際にここに遷座されます。
当時の権力者たちは神とか仏とか関係ないですよね。
権力争い、戦いとはそんなもんなんでしょう。
人間の一番醜い部分だと思います。

お茶屋さんで休憩もできますよ~
生國魂神社は、その後も何度も火災などで焼失することになります。
その都度、再興されたのは大阪の人々の信仰が厚かったんでしょうね。

北門。
明治の神仏分離で神宮寺であった聖徳太子創建と言われる法案寺は分離されました。
また十院(生玉十坊)もそれぞれ他のお寺に遷されました。
江戸時代まではどんなに大きな神社だったんでしょうか?
他の神社もお寺もそうですが、都会の開発にともなって
境内も狭くなっていくのは仕方ないのでしょうかねぇ。
生國魂神社 大阪市天王寺区生玉町13-9
次は近くにある齢延寺に行きます。
<< 大阪母娘旅10 藤次寺 大阪母娘旅12 齢延寺 >>

やっぱり大都会の真ん中にあるのですが、神社が近づいてくると緑が増えてきます。

ここから参道が始まります。
車がたくさん停まってますが、駐車場ではないようです。
自動車お祓いの看板が見えますが、お祓いの車でもなさそうです。
神社の参拝用無料駐車場が無いみたいなので、ここに停めるのかも?

じゃーんって感じの入口。
背景にビルが立ち並んでないのが良いですね。
都会の真ん中なのを忘れます。
生國魂神社は大阪最古の神社で大阪の総鎮守とされます。

本殿は戦災で焼失したため昭和31年の再建です。
コンクリート造りではありますが、生國魂造りと言う伝統的な様式で再建されました。
創建は神武東征の時に摂津国難波碕に生島神・足島神を祀ったのが始まり。
悠久の歴史を持った神社です。

主祭神はもちろん生島神・足島神。
この神様は何の神様かと言いますと、日本の国土の神様です。
なので平安から鎌倉にかけて天皇が即位すると、
ここへ来て(当時は大阪城の場所にありました)
即位儀礼の一つである八十島祭を執り行いました。
「八十島」とは日本の国土(大八洲)を指すとされます。
生島神・足島神は古事記や日本書紀の神話に出て来ない謎の神です。
平安京の宮中で「生島巫(いくしまのみかんなぎ)」という
専門の巫女が祀る重要な神々でしたが、今は八十島祭も断絶してしまいました。

シンプルな御朱印。

こちらは寅年の御朱印。

生國魂神社の境内にはたくさんの境内社があります。
緑に覆われた都会のオアシスです。

注連縄柱。
この写真は境内社側から本殿方向に撮りました。
柱にはなんて書いてあるんでしょう?

天満宮。

住吉神社。

皇大神宮。

公園みたいですね。
この奥に、まだまだたくさんのお宮があります。

精鎮社。
鳥居の前にプラスチックの板がありますが、これ、池なんです。

由来が書いてあります。
蓮池は神社前の公園の位置ににかつてあった池です。

小さな瀧も作ってありました。

木々の間から なんとも興味をそそる「崖縁占」の文字が見えます。

稲荷神社、源九郎稲荷神社、鴫野神社が並んでいます。

崖縁占は鴫野神社(しぎのじんじゃ)の脇にありました。

心の文字に錠前が掛かった提灯が印象的です。
「心の中は誰にも見せない」と言う意味があります。

由緒書きです。
淀殿ゆかりの神社で大阪城の近くにありましたが、
用地買収により生國魂神社境内に遷座しました。

祭神は市寸島比売神、大宮売神、淀姫神。
女性の神様で、やはり女性の願いを叶えてくれる神社です。
縁切り、縁結びにご利益があります。
そんな悩める女性の為に崖縁占があるんですね~

まだまだ境内社があります。

境内社の案内。

この4つの神社のお社が並んでいます。
看板にはそれぞれの神社の祭神やご利益が書いてあります。

境内社とは思えない立派なお社が並んでいます。

これらの神社は後からここに遷座されたのだと思いますが、
それがいつの時代かはどこにも書いてありませんでした。

生國魂神社は、かつて大坂城の場所にありました。
神武東征の時は海に突き出した小高い岬でした。
その後、大坂御坊(大坂本願寺)が隣にやってきます。
大阪御坊の鎮守的な役割だったそうで、仲良くやっていたみたいですが、
仲良くできなかったのが織田信長。
織田信長と大坂本願寺の石山合戦で焼失します。
生國魂神社の神職さんたちは大迷惑だと思った事でしょう。

生玉の杜。
豊臣秀吉の大坂城築城の際にここに遷座されます。
当時の権力者たちは神とか仏とか関係ないですよね。
権力争い、戦いとはそんなもんなんでしょう。
人間の一番醜い部分だと思います。

お茶屋さんで休憩もできますよ~
生國魂神社は、その後も何度も火災などで焼失することになります。
その都度、再興されたのは大阪の人々の信仰が厚かったんでしょうね。

北門。
明治の神仏分離で神宮寺であった聖徳太子創建と言われる法案寺は分離されました。
また十院(生玉十坊)もそれぞれ他のお寺に遷されました。
江戸時代まではどんなに大きな神社だったんでしょうか?
他の神社もお寺もそうですが、都会の開発にともなって
境内も狭くなっていくのは仕方ないのでしょうかねぇ。

次は近くにある齢延寺に行きます。
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