大阪母子旅 7
曾根崎心中の舞台 露天神社 2022-6-4参拝 2023-1-21
寒いですね~コロナが8波であちこちで感染の噂を聞きますが、
インフルエンザもまた流行していますね。
気を付けると言っても できる事はもうやってるしね。
人が多い所は避けると言っても主婦はスーパーには行かないと
生きていけないしね~
とにかく免疫力を上げようと思って、モリモリ食べていたら太りました;;
みなさん、元気で適度に頑張ってください。
1日目のコース
新世界・通天閣→大阪城
2日目のコース
真田丸跡(三光神社→心眼寺→興徳寺)→劇団四季オペラ座の怪人→露天神社
3日目のコース
大阪天満宮→堀川戎神社→成正寺→藤次寺→生國魂神社→齢延寺→源聖寺→高津宮
- 露天神社 つゆてんじんしゃ -
露天神社 通称「お初天神」
創建は不明ですが1300年以上の歴史を誇ります。
創建当初は大阪湾に浮かぶ小島の一つであった現在の地に、
「住吉須牟地曽根ノ神」を祀り御鎮座されたと伝えられております。
「難波八十島祭」旧跡の一社です。
昌泰4年(901年)2月、菅原道真公が筑紫へ左遷配流される途中、
この地で詠んだ「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば」の
歌に因んで「露天神社」と称すると伝えられています。
元禄16年(1703年)に遊女「お初」と平野屋の手代「徳兵衛」が
「天神の森(現在の社の裏手)」で心中を遂げるとういう事件が発生。
それを近松門左衛門が人形浄瑠璃「曽根崎心中」にして有名になりました。
太平洋戦争で焼失し、現在の形になりました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
寒いですね~コロナが8波であちこちで感染の噂を聞きますが、
インフルエンザもまた流行していますね。
気を付けると言っても できる事はもうやってるしね。
人が多い所は避けると言っても主婦はスーパーには行かないと
生きていけないしね~
とにかく免疫力を上げようと思って、モリモリ食べていたら太りました;;
みなさん、元気で適度に頑張ってください。
1日目のコース
新世界・通天閣→大阪城
2日目のコース
真田丸跡(三光神社→心眼寺→興徳寺)→劇団四季オペラ座の怪人→露天神社
3日目のコース
大阪天満宮→堀川戎神社→成正寺→藤次寺→生國魂神社→齢延寺→源聖寺→高津宮
- 露天神社 つゆてんじんしゃ -
露天神社 通称「お初天神」
創建は不明ですが1300年以上の歴史を誇ります。
創建当初は大阪湾に浮かぶ小島の一つであった現在の地に、
「住吉須牟地曽根ノ神」を祀り御鎮座されたと伝えられております。
「難波八十島祭」旧跡の一社です。
昌泰4年(901年)2月、菅原道真公が筑紫へ左遷配流される途中、
この地で詠んだ「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば」の
歌に因んで「露天神社」と称すると伝えられています。
元禄16年(1703年)に遊女「お初」と平野屋の手代「徳兵衛」が
「天神の森(現在の社の裏手)」で心中を遂げるとういう事件が発生。
それを近松門左衛門が人形浄瑠璃「曽根崎心中」にして有名になりました。
太平洋戦争で焼失し、現在の形になりました。
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劇団四季でオペラ座の怪人を見た後は露天神社へ行きます。
近くにはお初天神通り商店街もあり、夕食はそこでお好み焼きを食べることにしています。
四季劇場と露天神社は近くなんですが、梅田を横断する感じで、
私一人だと多分、迷子です^^;

こちらは裏参道(北門)でした。お初天神ビルをくぐって境内に入ります。
夕方になり提灯に明かりが灯っていい感じなんですが、メニューの看板が目に入ります。
表参道の鳥居の写真は撮り忘れました;;

本殿への細いビルの谷間の参道は緑で覆ってあります。
暑さ対策ですね。
風鈴もあり、涼し気な雰囲気ですけど、都会はやっぱり暑いです。

こちらが表参道から見た社殿。
右手に社務所、左手に手水舎や展示舎があります。

境内図。
ガラスの反射があり、ほんのりボケてます。
大阪のキタの中心地にある神社なので境内は狭いです。
戦争災害からの復興の為、境内を切り売りして資金をねん出した為、
現在のような境内になったそうです。
お初と徳兵衛が心中した江戸時代は天神の森と言われ、
境内は鬱蒼とした広大な緑の森に覆われていたそうです。

本殿。主祭神は少彦名大神。
創建の頃は大阪湾に浮かぶ孤島に「住吉住地曾根神」を祀りました。
曾根崎の地名はこの神様から来ています。
この辺が海だったなんて想像できませんね。

神泉 露の井。境内にある井戸。
真水の少ない大阪で、人々にとって貴重な井戸だったそうです。
梅雨時期には清水を地上に湧き出したと伝えられ、当社社名の起こりともいわれます。
現在は水量は少ないそうです。

展示舎。
社宝の写真などが飾ってあります。
数年前の真夏に梅田に来た時、浴衣を着た女の子たちが、
たくさんいて何だろうと思って調べたら、露天神社の夏祭りでした。
暑いので大変だけど、浴衣を着てお祭りに行くって素敵ですよね。

おみくじ機。
京都でもこんな自動?おみくじ機を見ました。
外国人には人気かも知れませんね。

ちょっとした都会のオアシスかな?
夕暮れの木陰のベンチで休んでいる人がたくさんいます。
かつて孤島に「住吉住地曾根神」が祀られていた頃は、
難波八十島祭」の一社であったとされています。
「難波八十島祭」は天皇の即位儀礼の一環として難波津で行われた祭祀です。
この祭りも創建は不明ですが、文徳天皇の嘉祥3年(850年)にまで遡ることができます。

境内社の水天宮・金刀比羅宮です。
水天宮は寛政9年(1797年)6月に大阪中之島・久留米藩蔵屋敷内に祀られた社です。
明治に入り蔵屋敷を返上したため、丸亀藩蔵屋敷の金刀比羅宮に合祀されました。
が、しかしこちらも返上し、高松藩蔵屋敷の金刀比羅宮に遷され、
その後、堂島中二丁目に遷座されます。
明治42年の北の大火で社殿が焼失し、露天神社の境内社となりました。

明治天皇誕生の際、久留米藩蔵屋敷内にあった水天宮に安産祈願をしました。
また、金刀比羅宮は丸亀藩、高松藩の屋敷内にあった時から霊験あらたかといわれ
縁日には人々が詰め掛けたそうです。

天井には天女の絵が描かれています。
あちこち転々としながらも、廃絶することが無かったのは
地元の人々の信仰が厚かったからでしょう。

大阪では安産、子供の守り神として有名なのかな?
たくさんの絵馬が奉納されています。

明治42年の「北の大火」で社殿が称してここに合祀された神社がもう一つあります。
難波神明社といい、天照皇大神、豊受姫大神を祀っていました。
弘仁12年(821)に嵯峨天皇の皇子河原左大臣源融公が
今の西天満伊勢町あたりの孤島に祀ったのが始まり。
源義経が寄付物を奉納したり、後醍醐天皇が度々行幸を行いました。
大阪城代、両町奉行の崇敬が殊に厚く、境内も広大で、
『日本七神明』と言われていました。

撫で牛。
菅原道真は凄いですね。
彼が左遷の際に立ち寄った所はだいたい神社が出来ているように思います。
この神社も彼が詠んだ歌で名前が変ってしまったんですからねぇ。
(境内の井戸かも知れないけど)
「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば」

露天神の代名詞の「お初と徳兵衛」です。
縁結びとか恋愛成就になってるけど、悲恋ですよね?
心中した人のパネルに顔をはめたくないって思うのは私だけ?
二人を祀ってあげることによって願いを叶えてもらうって事なんでしょうけど、
最近に起こった事件なら心霊スポットだよね~

開運稲荷社。鳥居の扁額には玉津稲荷と書かれています。
実は明治42年の北の大火で周辺の4つの稲荷社が焼失して、
露天神社に合祀されました。

ハートの絵馬がたくさん奉納されているので、
てっきりここにお初と徳兵衛が祀られているのかと思いましたが、
二人を祀っているとういう事では無さそうです。
このお稲荷さんは元々、皮膚病治癒祈願でお百度を踏む人が絶えなかったそうです。
その頃は鯰の絵馬を奉納したそうですよ。
なんで「ナマズ」?と思うでしょ?祭神の「玉津大神」の「たまつ」が訛って「ナマズ」になったとか。
そんな理由なんかい?て言いたくなるけど、そんなモノなんでしょうね~

芝居がヒットしたのでみんなが所謂「聖地巡礼」的な感じで来たのかな?
ついでにお参りして行こうみたいな???
そしたら恋愛成就の御利益があるって事になったんでしょうかね?
いつの時代も世間はスキャンダルが好きなんですね。

心中事件が起こったのは元禄16年4月7日(1703年5月22日)。
その年に近松門左衛門が人形浄瑠璃として「曾根崎心中」を発表、上演します。
人形浄瑠璃だけでなく歌舞伎でも上演され、人気を博しました。
それがヒットして「心中ものブーム」が起きたそうですよ。

ポップなカエル~かわいい御手洗です。

たくさんの恋愛成就の絵馬。

露天神社の御朱印。

露天神社の金刀比羅宮の御朱印。
他にもいくつかの種類の御朱印がありました。
露天神社 HP >>

お初天神通りはほとんどがお食事処。
恋愛成就の神社なら若い女の子向けのショップがあるかと思いましたが、
飲み屋街と言った方が良さそうです。

お好み焼き屋は適当に入りましたが、美味しかったです。
すぐにいっぱいになりました。
明日は大阪天満宮と生國魂神社の周辺へ行きます。
<< 大阪母娘旅6 オペラ座の怪人 大阪母娘旅8 大阪天満宮 >>

近くにはお初天神通り商店街もあり、夕食はそこでお好み焼きを食べることにしています。
四季劇場と露天神社は近くなんですが、梅田を横断する感じで、
私一人だと多分、迷子です^^;

こちらは裏参道(北門)でした。お初天神ビルをくぐって境内に入ります。
夕方になり提灯に明かりが灯っていい感じなんですが、メニューの看板が目に入ります。
表参道の鳥居の写真は撮り忘れました;;

本殿への細いビルの谷間の参道は緑で覆ってあります。
暑さ対策ですね。
風鈴もあり、涼し気な雰囲気ですけど、都会はやっぱり暑いです。

こちらが表参道から見た社殿。
右手に社務所、左手に手水舎や展示舎があります。

境内図。
ガラスの反射があり、ほんのりボケてます。
大阪のキタの中心地にある神社なので境内は狭いです。
戦争災害からの復興の為、境内を切り売りして資金をねん出した為、
現在のような境内になったそうです。
お初と徳兵衛が心中した江戸時代は天神の森と言われ、
境内は鬱蒼とした広大な緑の森に覆われていたそうです。

本殿。主祭神は少彦名大神。
創建の頃は大阪湾に浮かぶ孤島に「住吉住地曾根神」を祀りました。
曾根崎の地名はこの神様から来ています。
この辺が海だったなんて想像できませんね。

神泉 露の井。境内にある井戸。
真水の少ない大阪で、人々にとって貴重な井戸だったそうです。
梅雨時期には清水を地上に湧き出したと伝えられ、当社社名の起こりともいわれます。
現在は水量は少ないそうです。

展示舎。
社宝の写真などが飾ってあります。
数年前の真夏に梅田に来た時、浴衣を着た女の子たちが、
たくさんいて何だろうと思って調べたら、露天神社の夏祭りでした。
暑いので大変だけど、浴衣を着てお祭りに行くって素敵ですよね。

おみくじ機。
京都でもこんな自動?おみくじ機を見ました。
外国人には人気かも知れませんね。

ちょっとした都会のオアシスかな?
夕暮れの木陰のベンチで休んでいる人がたくさんいます。
かつて孤島に「住吉住地曾根神」が祀られていた頃は、
難波八十島祭」の一社であったとされています。
「難波八十島祭」は天皇の即位儀礼の一環として難波津で行われた祭祀です。
この祭りも創建は不明ですが、文徳天皇の嘉祥3年(850年)にまで遡ることができます。

境内社の水天宮・金刀比羅宮です。
水天宮は寛政9年(1797年)6月に大阪中之島・久留米藩蔵屋敷内に祀られた社です。
明治に入り蔵屋敷を返上したため、丸亀藩蔵屋敷の金刀比羅宮に合祀されました。
が、しかしこちらも返上し、高松藩蔵屋敷の金刀比羅宮に遷され、
その後、堂島中二丁目に遷座されます。
明治42年の北の大火で社殿が焼失し、露天神社の境内社となりました。

明治天皇誕生の際、久留米藩蔵屋敷内にあった水天宮に安産祈願をしました。
また、金刀比羅宮は丸亀藩、高松藩の屋敷内にあった時から霊験あらたかといわれ
縁日には人々が詰め掛けたそうです。

天井には天女の絵が描かれています。
あちこち転々としながらも、廃絶することが無かったのは
地元の人々の信仰が厚かったからでしょう。

大阪では安産、子供の守り神として有名なのかな?
たくさんの絵馬が奉納されています。

明治42年の「北の大火」で社殿が称してここに合祀された神社がもう一つあります。
難波神明社といい、天照皇大神、豊受姫大神を祀っていました。
弘仁12年(821)に嵯峨天皇の皇子河原左大臣源融公が
今の西天満伊勢町あたりの孤島に祀ったのが始まり。
源義経が寄付物を奉納したり、後醍醐天皇が度々行幸を行いました。
大阪城代、両町奉行の崇敬が殊に厚く、境内も広大で、
『日本七神明』と言われていました。

撫で牛。
菅原道真は凄いですね。
彼が左遷の際に立ち寄った所はだいたい神社が出来ているように思います。
この神社も彼が詠んだ歌で名前が変ってしまったんですからねぇ。
(境内の井戸かも知れないけど)
「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば」

露天神の代名詞の「お初と徳兵衛」です。
縁結びとか恋愛成就になってるけど、悲恋ですよね?
心中した人のパネルに顔をはめたくないって思うのは私だけ?
二人を祀ってあげることによって願いを叶えてもらうって事なんでしょうけど、
最近に起こった事件なら心霊スポットだよね~

開運稲荷社。鳥居の扁額には玉津稲荷と書かれています。
実は明治42年の北の大火で周辺の4つの稲荷社が焼失して、
露天神社に合祀されました。

ハートの絵馬がたくさん奉納されているので、
てっきりここにお初と徳兵衛が祀られているのかと思いましたが、
二人を祀っているとういう事では無さそうです。
このお稲荷さんは元々、皮膚病治癒祈願でお百度を踏む人が絶えなかったそうです。
その頃は鯰の絵馬を奉納したそうですよ。
なんで「ナマズ」?と思うでしょ?祭神の「玉津大神」の「たまつ」が訛って「ナマズ」になったとか。
そんな理由なんかい?て言いたくなるけど、そんなモノなんでしょうね~

芝居がヒットしたのでみんなが所謂「聖地巡礼」的な感じで来たのかな?
ついでにお参りして行こうみたいな???
そしたら恋愛成就の御利益があるって事になったんでしょうかね?
いつの時代も世間はスキャンダルが好きなんですね。

心中事件が起こったのは元禄16年4月7日(1703年5月22日)。
その年に近松門左衛門が人形浄瑠璃として「曾根崎心中」を発表、上演します。
人形浄瑠璃だけでなく歌舞伎でも上演され、人気を博しました。
それがヒットして「心中ものブーム」が起きたそうですよ。

ポップなカエル~かわいい御手洗です。

たくさんの恋愛成就の絵馬。

露天神社の御朱印。

露天神社の金刀比羅宮の御朱印。
他にもいくつかの種類の御朱印がありました。


お初天神通りはほとんどがお食事処。
恋愛成就の神社なら若い女の子向けのショップがあるかと思いましたが、
飲み屋街と言った方が良さそうです。

お好み焼き屋は適当に入りましたが、美味しかったです。
すぐにいっぱいになりました。
明日は大阪天満宮と生國魂神社の周辺へ行きます。
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