大阪母子旅 4
真田丸跡 心眼寺 2022-6-4参拝 2022-10-18
巷では旅行支援が始まりましたね~
私は前から申し込んであったバス旅行が旅行支援の対象になり、
ラッキーなことにずいぶんお得に旅行に行けました。
行き先は黒部ダムです。
ちょうど紅葉真っ盛りでとても良かったです。
社寺には全く行ってないんですけど、写真をいっぱい撮ったので
またブログにあげたいなと思っています。
いつになるか分からないけど^^;
1日目のコース
新世界・通天閣→大阪城
2日目のコース
真田丸跡(三光神社→心眼寺→興徳寺)→劇団四季オペラ座の怪人→露天神社
3日目のコース
大阪天満宮→堀川戎神社→成正寺→藤次寺→生國魂神社→齢延寺→源聖寺→高津宮
- 真田山 心眼寺 しんがんじ -
安土桃山時代後期の文禄年間(1593~1596)に創建。
大坂冬の陣の時に真田信繁(幸村)が真田丸を築造した際に取り込まれ、
冬の陣の終結後に真田丸が破却された際に一緒に破壊されました。
1622年4月に滋野氏の一族の白牟和尚が海野氏の助力により、
真田幸村とその子・大助の菩提を弔うために再建されました。
その後、第二次世界大戦で焼失し、戦後復興されました。
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巷では旅行支援が始まりましたね~
私は前から申し込んであったバス旅行が旅行支援の対象になり、
ラッキーなことにずいぶんお得に旅行に行けました。
行き先は黒部ダムです。
ちょうど紅葉真っ盛りでとても良かったです。
社寺には全く行ってないんですけど、写真をいっぱい撮ったので
またブログにあげたいなと思っています。
いつになるか分からないけど^^;
1日目のコース
新世界・通天閣→大阪城
2日目のコース
真田丸跡(三光神社→心眼寺→興徳寺)→劇団四季オペラ座の怪人→露天神社
3日目のコース
大阪天満宮→堀川戎神社→成正寺→藤次寺→生國魂神社→齢延寺→源聖寺→高津宮
- 真田山 心眼寺 しんがんじ -
安土桃山時代後期の文禄年間(1593~1596)に創建。
大坂冬の陣の時に真田信繁(幸村)が真田丸を築造した際に取り込まれ、
冬の陣の終結後に真田丸が破却された際に一緒に破壊されました。
1622年4月に滋野氏の一族の白牟和尚が海野氏の助力により、
真田幸村とその子・大助の菩提を弔うために再建されました。
その後、第二次世界大戦で焼失し、戦後復興されました。
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真田丸跡にあるという心眼寺に向かいます。
数年前の大河ドラマの時にNHKだけじゃなく、いろんなTV局で
大坂城や大坂の陣、真田丸について特番を組んだりしてましたね。
私もいくつか見ました。
真田丸は出城だったんだとその時に知りました。

真田丸は当然ながら高台にあります。
右に見えるのは学校で、左はいくつかのお寺を挟んで、
その向こうに三光神社があります。

この坂は心眼寺坂といいます。

心眼寺。

真田丸出城跡の説明。

こちらも真田丸についての説明。

本堂。
なんとも現代的な本堂です。
お堂は閉まっていて、中は伺い知れず。。。
ご本尊は阿弥陀如来。
大阪新四十八願所阿弥陀巡礼の11番札所になっています。

真田家の家紋である六文銭の幟が立っています。
心眼寺は安土桃山時代後期の文禄年間(1593~1596)に創建されました。
そして真田丸に取り込まれ、大坂の陣の後に真田丸破却の時に、一緒に壊されました。
元和8年(1622)4月に真田信繁、その子の大助の菩提を弔う為に再建。
寺紋は真田家の家紋と同じ六文銭です。

心眼寺を調べるとほぼ「真田」の事しか出て来ないんですが、
唯一、違う事はこのお墓の人。
京都見廻組の桂早之助と渡辺吉太郎の墓です。

説明。
彼らの事はほとんど知らないのですが、
近江屋事件で坂本龍馬と中岡慎太郎を暗殺たと言われれば、なるほど~と思います。
その後、鳥羽・伏見の戦いで亡くなりました。
みんな、20代の若者でした。どんな思いで戦ったのかなぁ?

とてもキレイに整備された境内です。
第二次世界大戦ですべてを焼失。
その時に境内に残っていた「幸村鎧掛けの松の木」も燃えてしまいました。

ちょっと分かり難いですが、正面の石が真田信繫の墓です。
この墓碑は信繁四百回忌に合わせて2014年に建立されたそうです。
新しいんだ~~~

説明。
真田幸村として覚えていましたが、真田信繫と言う名前で呼ばれており、
???と思っていたら、この説明に生前に「幸村」と名のったことはなかったと
書かれており、後世に誰かが「幸村」って言ったって事か。
でもね~「幸村」って名前はカッコイイと思います。

まんなおし地蔵尊。
「間が悪い」とよく言われる「悪い間」を直すお地蔵様です。
不幸を幸運に変えてしまう凄い地蔵尊なんです。

お稲荷さん。
お寺だろうが神社だろうが、必ずと言っていいほど境内にあります^^;

心眼寺の御朱印。
うん?あれ?「真田九」になってるよ?一画書き忘れてるよ~~~~
自分で書き足すべきか?
まあ、これも味があっていいかも?どこが味?って感じだけどね;;
真田山 心眼寺 大阪市天王寺区餌差町2-22
次は隣の興徳寺に行きます。
<< 大阪母子旅3 三光神社 大阪母娘旅5 興徳寺 >>

数年前の大河ドラマの時にNHKだけじゃなく、いろんなTV局で
大坂城や大坂の陣、真田丸について特番を組んだりしてましたね。
私もいくつか見ました。
真田丸は出城だったんだとその時に知りました。

真田丸は当然ながら高台にあります。
右に見えるのは学校で、左はいくつかのお寺を挟んで、
その向こうに三光神社があります。

この坂は心眼寺坂といいます。

心眼寺。

真田丸出城跡の説明。

こちらも真田丸についての説明。

本堂。
なんとも現代的な本堂です。
お堂は閉まっていて、中は伺い知れず。。。
ご本尊は阿弥陀如来。
大阪新四十八願所阿弥陀巡礼の11番札所になっています。

真田家の家紋である六文銭の幟が立っています。
心眼寺は安土桃山時代後期の文禄年間(1593~1596)に創建されました。
そして真田丸に取り込まれ、大坂の陣の後に真田丸破却の時に、一緒に壊されました。
元和8年(1622)4月に真田信繁、その子の大助の菩提を弔う為に再建。
寺紋は真田家の家紋と同じ六文銭です。

心眼寺を調べるとほぼ「真田」の事しか出て来ないんですが、
唯一、違う事はこのお墓の人。
京都見廻組の桂早之助と渡辺吉太郎の墓です。

説明。
彼らの事はほとんど知らないのですが、
近江屋事件で坂本龍馬と中岡慎太郎を暗殺たと言われれば、なるほど~と思います。
その後、鳥羽・伏見の戦いで亡くなりました。
みんな、20代の若者でした。どんな思いで戦ったのかなぁ?

とてもキレイに整備された境内です。
第二次世界大戦ですべてを焼失。
その時に境内に残っていた「幸村鎧掛けの松の木」も燃えてしまいました。

ちょっと分かり難いですが、正面の石が真田信繫の墓です。
この墓碑は信繁四百回忌に合わせて2014年に建立されたそうです。
新しいんだ~~~

説明。
真田幸村として覚えていましたが、真田信繫と言う名前で呼ばれており、
???と思っていたら、この説明に生前に「幸村」と名のったことはなかったと
書かれており、後世に誰かが「幸村」って言ったって事か。
でもね~「幸村」って名前はカッコイイと思います。

まんなおし地蔵尊。
「間が悪い」とよく言われる「悪い間」を直すお地蔵様です。
不幸を幸運に変えてしまう凄い地蔵尊なんです。

お稲荷さん。
お寺だろうが神社だろうが、必ずと言っていいほど境内にあります^^;

心眼寺の御朱印。
うん?あれ?「真田九」になってるよ?一画書き忘れてるよ~~~~
自分で書き足すべきか?
まあ、これも味があっていいかも?どこが味?って感じだけどね;;

次は隣の興徳寺に行きます。
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