信貴山と神仏 7
風神を祀る龍田大社 2022-5-7参拝 2022-8-24
残暑お見舞い申し上げます。
大雨のお見舞いも申し上げます。
巷では行動制限のないお盆と言ってますけど、
リスクを冒して行くべき処もないし、家周辺でお盆を過ごしました。
しかしながら退屈になって来たので「ウォーキング・デッド」を見始めてしまいました。
これが長い!見ても見ても終わらない。
しかも、いきなりゾンビがウォーって出てくるから見ていて疲れるんです。
でも登場キャラクターがカッコイイので見続けています。
現在、ファイナルがアメリカで放送されているんですって。
結局最後を見れるのはいつなのか、分からない。。。
ブログの更新が遅いのはウォーキング・デッドを見ているからです^^;
今回のコース
朝護孫寺→龍田大社→片岡山 達磨寺→広瀬大社
- 龍田大社 たつたたいしゃ -
創建は約2100年前、第十代・崇神天皇の時代。
凶作や疫病が流行し国が乱れる中、天皇の夢に大神様が現れ、
龍田の立野の地に祀れと神託を授け、ここにお社を造営すると
豊作となり疫病が退散したと延喜式の「龍田風神祭祝詞」に書かれています。
式内社(名神大社)、二十二社(中七社)の一社。
聖徳太子が整備したと言われる河内・難波宮を奈良の都を結ぶ龍田古道が通っています。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
残暑お見舞い申し上げます。
大雨のお見舞いも申し上げます。
巷では行動制限のないお盆と言ってますけど、
リスクを冒して行くべき処もないし、家周辺でお盆を過ごしました。
しかしながら退屈になって来たので「ウォーキング・デッド」を見始めてしまいました。
これが長い!見ても見ても終わらない。
しかも、いきなりゾンビがウォーって出てくるから見ていて疲れるんです。
でも登場キャラクターがカッコイイので見続けています。
現在、ファイナルがアメリカで放送されているんですって。
結局最後を見れるのはいつなのか、分からない。。。
ブログの更新が遅いのはウォーキング・デッドを見ているからです^^;
今回のコース
朝護孫寺→龍田大社→片岡山 達磨寺→広瀬大社
- 龍田大社 たつたたいしゃ -
創建は約2100年前、第十代・崇神天皇の時代。
凶作や疫病が流行し国が乱れる中、天皇の夢に大神様が現れ、
龍田の立野の地に祀れと神託を授け、ここにお社を造営すると
豊作となり疫病が退散したと延喜式の「龍田風神祭祝詞」に書かれています。
式内社(名神大社)、二十二社(中七社)の一社。
聖徳太子が整備したと言われる河内・難波宮を奈良の都を結ぶ龍田古道が通っています。
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朝護孫寺のある山から街へ下りてきました。
龍田大社は意外にも住宅街の中に鎮座していました。
そりゃあ元々は緑あふれる鎮守の杜が広がっていたんでしょうけど、
現在は人間が押し寄せて来た感じで、周りを住宅が取り囲んでいました。
龍田古道沿いに龍田大社はあるのですが、かつての街道の雰囲気はゼロです。

龍田大社の鳥居の前には大きな駐車場と公園もありました。
大きな神社なのでもっと参拝者がいるかと思いきや、
数人の参拝者はいましたがとても静かでした。

拝殿。
後ろに控える鎮守の杜の緑に埋もれ…と、言いたい所ですが、
確かに緑の森に囲まれているんですが、その向こうには住宅街があります。
さらにその向こうに行くと三室山があり緑が溢れてきます。
三室山には奥の宮の跡地があります。
もっと行くと風神降臨の地とされる御座峰があります。

祭神は風の神。
天御柱大神(あめのみはしらのおおかみ)(別名:志那都比古神(しなつひこのかみ)
国御柱大神(くにのみはしらのおおかみ)(別名:志那都比売神(しなつひめのかみ)
男神と女神と考えられ、陰陽を表す夫婦の風神様です。
この神様は元寇の時に神風を起こし国を救ったと言われる神様です。
凄い神様という事で伊勢神宮の内宮にも外宮にもお宮を持っているんです。
とても地位の高い神様なんですね。

本殿が見えないかな?と思って奥の方を覗いてみましたが、全く見えず。
本殿前の左右には摂社末社が並んでいます。
その中に龍田比古命と龍田比売命の夫婦神が祀られています。
龍田の地名は神武天皇の時代まで遡り、その頃からこの地の氏神様であったそうです。

三つの末社にお参りに行きます。

白蛇大明神。
江戸末期から明治末期まで、御神域に白蛇として現れ信仰されていましたが、一夜にして姿が見えなくなりました。
その後、明治41年春、突如にごり池(現在の北葛城郡広陵町)に白龍として出現されましたので、この地にお迎えし、お祀りしました。
龍田大社 HPより

水をかけてお参りします。
龍が2つ並んでいますが、やっぱり夫婦龍かしら?陰陽ね。
龍田大社は陰陽五行の信仰があります。
陰陽五行はあちこちで出てくる思想です。
安倍晴明は元より最近ではコミックなんかにも出てきますよね、戦う系の。
しかし、真髄は深く理解しようと何度かそれについて読んでみたけど
なんとな~くは分かるけど、理解できた!とはとても言えないです。

龍田恵比寿神社。
鎌倉時代兵庫県西宮市の西宮えびす神社より御分霊を勧請。
江戸時代には荒廃していましたが、昭和62年に復興しました。

三室稲荷神社。

龍田大社の創建は2100年前。
崇神天皇の時代、国内に凶作や疫病が流行し騒然としているなか、天皇の御夢に大神様が現れ「吾が宮を朝日の日向かう処、夕日の日隠る処の龍田の立野の小野に定めまつりて…」という御神託を授けられました。その通りにお社を造営すると、作物は豊作、疫病は退散したと伝えられ、これが当社の創建とされています。
龍田大社 HPより
延喜式の祝詞に創建について書かれているそうです。
本日、あとで行く広瀬大社についても延喜式の祝詞に書かれています。
私は延喜式内社ってブログでよく書きますが、
延喜式に祝詞が書いてあるんだと初めて知りました。
まあ、「延喜式」をよく知っているとは思ってなかったけどさ。

御朱印。
授与所で頂きました。
それと黒地に金で龍の刺繡が入った厄除けのお守りを買いました。

なんか変な写真です。
キレイな庭を撮ろうと思ったんだけど、妙な構図です;;
龍田大社と言えば有名な歌があります。
「ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは 在原業平」
平安時代から紅葉の名所だったわけですね。
ブログのタイトルの「ちはやふる神代の国より」と検索をかけると、
この歌か、かるたのコミックが出てきます。
当然と言えば当然なんだけどね^^;タイトル失敗したな~と思います。
龍田大社 HP >>
<< 信貴山と神仏6 朝護孫寺 開山堂・門前町篇 信貴山と神仏8 達磨寺 >>

龍田大社は意外にも住宅街の中に鎮座していました。
そりゃあ元々は緑あふれる鎮守の杜が広がっていたんでしょうけど、
現在は人間が押し寄せて来た感じで、周りを住宅が取り囲んでいました。
龍田古道沿いに龍田大社はあるのですが、かつての街道の雰囲気はゼロです。

龍田大社の鳥居の前には大きな駐車場と公園もありました。
大きな神社なのでもっと参拝者がいるかと思いきや、
数人の参拝者はいましたがとても静かでした。

拝殿。
後ろに控える鎮守の杜の緑に埋もれ…と、言いたい所ですが、
確かに緑の森に囲まれているんですが、その向こうには住宅街があります。
さらにその向こうに行くと三室山があり緑が溢れてきます。
三室山には奥の宮の跡地があります。
もっと行くと風神降臨の地とされる御座峰があります。

祭神は風の神。
天御柱大神(あめのみはしらのおおかみ)(別名:志那都比古神(しなつひこのかみ)
国御柱大神(くにのみはしらのおおかみ)(別名:志那都比売神(しなつひめのかみ)
男神と女神と考えられ、陰陽を表す夫婦の風神様です。
この神様は元寇の時に神風を起こし国を救ったと言われる神様です。
凄い神様という事で伊勢神宮の内宮にも外宮にもお宮を持っているんです。
とても地位の高い神様なんですね。

本殿が見えないかな?と思って奥の方を覗いてみましたが、全く見えず。
本殿前の左右には摂社末社が並んでいます。
その中に龍田比古命と龍田比売命の夫婦神が祀られています。
龍田の地名は神武天皇の時代まで遡り、その頃からこの地の氏神様であったそうです。

三つの末社にお参りに行きます。

白蛇大明神。
江戸末期から明治末期まで、御神域に白蛇として現れ信仰されていましたが、一夜にして姿が見えなくなりました。
その後、明治41年春、突如にごり池(現在の北葛城郡広陵町)に白龍として出現されましたので、この地にお迎えし、お祀りしました。
龍田大社 HPより

水をかけてお参りします。
龍が2つ並んでいますが、やっぱり夫婦龍かしら?陰陽ね。
龍田大社は陰陽五行の信仰があります。
陰陽五行はあちこちで出てくる思想です。
安倍晴明は元より最近ではコミックなんかにも出てきますよね、戦う系の。
しかし、真髄は深く理解しようと何度かそれについて読んでみたけど
なんとな~くは分かるけど、理解できた!とはとても言えないです。

龍田恵比寿神社。
鎌倉時代兵庫県西宮市の西宮えびす神社より御分霊を勧請。
江戸時代には荒廃していましたが、昭和62年に復興しました。

三室稲荷神社。

龍田大社の創建は2100年前。
崇神天皇の時代、国内に凶作や疫病が流行し騒然としているなか、天皇の御夢に大神様が現れ「吾が宮を朝日の日向かう処、夕日の日隠る処の龍田の立野の小野に定めまつりて…」という御神託を授けられました。その通りにお社を造営すると、作物は豊作、疫病は退散したと伝えられ、これが当社の創建とされています。
龍田大社 HPより
延喜式の祝詞に創建について書かれているそうです。
本日、あとで行く広瀬大社についても延喜式の祝詞に書かれています。
私は延喜式内社ってブログでよく書きますが、
延喜式に祝詞が書いてあるんだと初めて知りました。
まあ、「延喜式」をよく知っているとは思ってなかったけどさ。

御朱印。
授与所で頂きました。
それと黒地に金で龍の刺繡が入った厄除けのお守りを買いました。

なんか変な写真です。
キレイな庭を撮ろうと思ったんだけど、妙な構図です;;
龍田大社と言えば有名な歌があります。
「ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは 在原業平」
平安時代から紅葉の名所だったわけですね。
ブログのタイトルの「ちはやふる神代の国より」と検索をかけると、
この歌か、かるたのコミックが出てきます。
当然と言えば当然なんだけどね^^;タイトル失敗したな~と思います。

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